月に帰らない、かぐや姫

Episode15  かぐやの決意

次の満月は、あっという間にやってきました。

満月の日は、朝から誰もが忙しく立ち働いていました。帝はかぐやを常にそばに置いておきたがりましたし、ケンゾーとトツもまたかぐやの側にいました。帝はすべての公務を今日だけは休みにしましたし、兵士たちは戦いの準備に余念がありません。そして宮殿の中のそこかしこに、ピンと張りつめた空気が流れていました。

「かぐや、お前のことが心配だ。本当に大丈夫なのか?」

ケンゾーは心配そうに聞きました。かぐやはしっかりした調子で頷きました。

「ええ、大丈夫よ、お父さん。誰も危ない目には遭わないわ」

かぐやはそう言いましたが、実際にはやはり何の確信もありませんでした。

月の人たちは、かぐやを迎えに来るのです。ですからかぐやは、きっと安全に大切に扱われるでしょう。

けれど、地球のことを見下している月の住人のことです。かぐやの周りにいる人たちに対して、手荒い行いをすることだってありえます。かぐやは自分のことより、みんなのことが心配でなりませんでした。

だからと言って、一人で迎えを待つことも心細いのです。かぐやはじりじりしながら、月の出るのを待ちました。

 

その時はずっとずっと長い時間に思われました。

秋の夕暮れは早いものです。午後、しばらく経つとすぐに日が傾いて、どんどん地平線に近づいていきます。やがてオレンジ色だった空がゆっくりと紺色に変わる頃、東の空にまんまるい満月が姿を現しました。

それを合図に、弓兵たちは屋根の上に上がりました。剣を持つ者も幾人か混ざっています。地上には剣や槍で武装した兵士たちが揃いました。

かぐやは、帝、ケンゾー、トツと一緒に、宮殿の一番奥の部屋にいました。部屋の明かりもつけず、みんなで寄り集まって、外の物音に耳を澄ましていました。

さらに夜が深まって、辺りは虫の歌声でいっぱいになりました。池から聞こえてくる水音も柔らかく混ざります。かぐやはこのまま、満月の一晩が去ってしまうような気すらしてきました。

ですが、満月が中天に差し掛かった真夜中に、それは起こったのです。

外で気を張り詰めていた兵士たちは、急に月の光が強まったことに気がつきました。真っ白な光が強くなり、そしてその光が、どんどん大きくなってくるのです。

光はゆっくりとこちらへ下りてきていました。光の中にいるのは、月の王族の従者たちです。光が宮殿に近づくと、辺りはまるで昼間のように明るくなり、目が慣れていなかった兵士たちはどよめきました。

「来たわ」

奥の間では、かぐやがすっと顔を上げて言いました。それとほとんど同時に外でざわめきが立ったので、帝と夫婦たちは驚きました。

兵の隊長はいち早く目を光に鳴らしていました。

「ひるむな! 撃て! 姫をお守りしろ!」

強気に号令をかけて、率先して弓を引きます。周りの何人か、そして隊長の声が聞こえた人々は、それに従って弓を構えました。

けれど、どうしたことでしょうか。矢を構えた矢先に、なぜか力が抜けて撃つことができないのです。隊長は誰よりも強靭な精神で踏ん張りましたが、結局、弦を引き絞るところまで、どうしても動くことができませんでした。

光は弓にも、飛んでくる怒号にも邪魔されることなく、宮殿の前庭に到着しました。光が少し弱まって、中の様子が見えるようになります。そこには牛車を模した宇宙船と、それに付き従う五人の侍女たちの姿がありました。侍女たちは一様に着物を着ています。宇宙船が牛車を模しているのも、侍女たちが着物を着ているのも、地球で暮らし慣れたかぐやを驚かせないようにという配慮からでした。

「ルチェア様、月からお迎えに上がりましてございます」

音声とも楽器ともつかない、不思議な音色の声が響きました。それが、地球人の耳で聴く、月の住人の声なのです。周りには大勢の兵士たちがいましたが、全員が戦う気を削がれて、ただただ輝く月の人を見つめるばかりでした。

かぐやは月の人の声が聞こえていましたが、何も言わずにいました。かぐやを守る帝も夫婦も、黙っていました。

「ルチェア様。そこにおられるのは分かっているのですよ」

しかし月の人は、かぐやの居場所を分かっていました。

月の人が、すっと腕を平行に動かします。

すると宮殿のあちらこちらから音がして、建物にあるすべての扉が、かかっていた鍵も含めてすべて開いてしまいました。かぐやの前に月の光が差しこみました。

「ルチェア様」

再び呼び声がします。かぐやは冷静に言いました。

「行くしかないわ」

「だが、かぐや」

立ち上がろうとするかぐやを、帝が押さえて引き留めようとしました。

振り返ったかぐやはちょっと微笑んで見せました。

「大丈夫。あの人たちは私には何もしないわ。本当に大丈夫かどうか、一緒についてきて見てごらんなさい」

そしてしなやかに立ち上がると、声の聞こえる方へ、滑るように廊下を歩いていきました。

姿を現したかぐやを見て、月の人たちは膝を折り、恭しく長い礼をしました。先頭に立つ侍女が言いました。

「ルチェア様。よくぞご無事でいらっしゃいました。貴女様の罰は無事に終わり、父上はルチェア様のお帰りを待っておられます。この船にお乗りくださいませ」

侍女たちが左右に分かれて、牛車の形をした宇宙船を見せました。かぐやは足袋のまま土の上へ下り、数歩牛車の方へ近づきました。

「かぐや……?」

ケンゾーが不安をあらわにした声を出しました。月の人に触発されて、かぐやが月へ帰ることにしてしまったと感じたのです。

かぐやが牛車に近づいていくと、侍女たちがさまざまのものを持って周りに集まりました。

一人目の侍女が携えていたのは、不死の薬でした。そしてもう一人の侍女が携えていたのが、天の羽衣です。

「下等な地球のものをお召しになて、さぞご気分の悪いことでしょう」

侍女はそう言い添えて、不死の薬をかぐやに差しだしました。これを飲むことで、地球人であるかぐやの体が月に対応できるようになるのです。月から地球へ来ることは容易でも、地球人の体で月で生活することは、とても大変なことなのです。

「ありがとう」

かぐやは薬を持った侍女と向きあい、そして薬の入った細長い瓶を手に取りました。皆は息を詰めて、かぐやが月に帰ってしまうかもしれないと、その挙動のすべてを注意深く見守りました。

かぐやは蓋をあけました。

「ありがとう。でも私、月には帰らないわ」

蓋を開けた瓶を、かぐやは手を滑らせるようにして地面に落としてしまったのです!

侍女たちは驚いて、さっと飛びのきました。かぐやは二人目の侍女から天の羽衣を奪い取ると、それも真っ二つに裂いてしまいました。

「ルチェア様! なんということを!」

侍女が息を呑みました。かぐやは平然と「なあに?」などと言ってのけます。

ケンゾーたちは安心して胸をなでおろしましたが、すぐにまた目を凝らして事態を見つめました。

かぐやは肩をすくめて言いました。

「私、地球が好きよ。だから地球の人になるの。死ぬまでここで、ミカド様やお父さんお母さんと一緒に暮らすわ。月へは戻らない」

天の羽衣を見た瞬間、かぐやは直感してしまったのでした。

繊細で、この世のものとは思えないほど薄く作られたこの織物に、特別な術がほどこされていることを。

あれを着てはいけない。その思いに従ったのでした。

侍女たちはあまりにも驚いて、誰も何も言うことができませんでした。しばらく沈黙したのちに、一人がやっと口がきけるようになった、と言った風に聞きました。

「……で、ですが。なぜ下等な地球をお選びになるのです。月の方が、よっぽど」

「帰ってお父様に伝えなさい。私は月へは帰りません。地球は月以上に素晴らしいところです、と。そして貴女たちも、自分の目で地球をもっとよく見てごらんなさい。必ずそのすばらしさに気づく時が来るわ」

侍女たちの質問には取り合わず、かぐやはぴしゃりとそう言い放ちました。

かぐやは曲がりなりにも、月の世界の姫君です。「娘を連れ帰れ」という王の命令があるとはいえ、手荒な真似をするわけにはいきません。

侍女たちは困惑したまま、空の宇宙船を囲んで帰る他にありませんでした。かぐやはこの世界を選んだのです。