月に帰らない、かぐや姫

Episode11  罪と罰

地球への旅は、かぐやにとってあまりにも印象的すぎました。

かぐやは言われた通りすぐ城に帰り、技術者に残りの料金を支払いました。城で姿が見えなかったことの言い訳などを上手くやりこなすと、かぐやは自分が持ちかえったものに夢中になりました。

祐彦(さちひこ)がくれた地球のお金、そして何より、茶色い土と緑色の植物。植物が緑色をしているなんて、なんだかとっても奇妙に思われます。けれど、面白くもあります。

かぐやは地球に降り立った時にかいだ、あの濃厚な土の匂いが忘れられませんでした。空気があるところは、あんなに濃厚な匂いがするものなのでしょうか。あれを一度体験してしまうと、月の空気はますます味気なく思われます。

数々の書物をひっくり返した結果、かぐやは植物が太陽の光を浴び、綺麗な空気を作りだすことを発見しました。それで、自分の手元にあるもので、やってみようと考えたのです。

かぐやの部屋には、がらくた市で見つけた、地球の水のみコップがありました。それに土をたっぷり入れて、草の根を一本たりとも損なわないように、慎重に慎重に、植えていきました。

そしてそれを、二酸化炭素で満たしたガラス容器の中に入れました。

あとは部屋の窓辺に、ぱっとは分からないように置いて、しばらく待つだけです。

かぐやは植物の成長が待ちきれなくて、毎日まいにち様子を観察しました。ちょっと茎が伸びたかしら、この葉っぱの角度が変わってる! 水をあげると、俯いていた葉が元気になるのね……。月で水を手に入れるにも一苦労でした。月の人は水を飲まず、人間のようなものも食べないのですから。

植物の成長を待つ間に、かぐやは祐彦(さちひこ)からもらった硬貨を加工に出しました。平たい硬貨の真ん中に穴をあけて、首からさげられるようにしたのです。それが目に触れるたびに祐彦(さちひこ)のことを思い出せて、かぐやはとても幸せな気分になりました。

けれど、そんな時間も長くは続かなかったのです。

植物は太陽の光を浴びて順調に育ち、やがて大きな花をつけました。月の陽光は、地球のそれよりも強いので、植物は本来育つより、ずっとずっと大きくなりました。かぐやはなんとか土の代わりになりそうなものを集めてきて、もっと大きな鉢植えに、植物を四回も植え替えなければなりませんでした。

月に咲いたピンク色の花は、かぐやの目にとてもきれいに見えました。可愛い色合いの花びらが五枚ばかりついていて、かぐやが通るたびに、ひらひらと揺れるのです。

ここまでの大きさになると、窓辺の陰に隠しておくのも難しいので、かぐやは植物のために、自分の部屋を模様替えしました。衣装棚の陰に鉢植えを置けば、部屋に入ってすぐは見つかりません。部屋の掃除も自分でやるようにして、できるだけ他の人を入れないようにしました。

花は十分咲きになると、黄色い花粉を飛ばしはじめました。そしてその花粉とともに、なんとも言えない濃厚な自然の香りが、辺りに広がり始めたのです。

月の人たちは鼻が敏感でした。それは、月にあるものの匂いが、地球に比べて薄いからです。薄い匂いをかぎ分けるために、月の人たちは自然と鼻が鋭くなったのでした。

そんな月の人たちの間で、城から漂ってくる「不思議な甘い匂い」のことは、すぐ噂にのぼるようになりました。そしてちょっとも経たない間に、匂いのもとがつき止められてしまったのです。

「陛下! 不思議な匂いのもとが分かりました!」

衛兵の一人が父王に報告へ来たのは、ちょうどかぐやたち一家が晩餐をしている時でした。

「何。原因はなんだったのだ!?」

王は立ち上がって聞きました。かぐやは「どうか、穏便に済みますように……」と念じて、椅子の上で小さく縮こまっていました。

願いは叶いませんでした。

「はい、それが……」

衛兵は言葉を濁らせ、視線をかぐやの方へと流しました。

その場にいた全員が衛兵の視線を追って、かぐやを見ました。

父が前かがみになって尋ねます。

「ルチェア。何かしたのかね?」

「いいえ?」

かぐやは努めて落ち着いた様子で答えました。けれど、もう何の言い逃れもできないことを悟っていました。

「部屋に連れていきなさい」

王に命令されて、かぐやは従うしかありませんでした。

「なんだ、これは!」

王はかぐやの部屋に入るなり、漂う濃い花の匂いに口元を覆いました。

花は床に花粉を散らしながら、かぐやの身の丈の二倍近くまで成長したのです。かぐやの育て方はとてもうまかったのでした。

王は足早に鉢植えに近づくと、植物の根元を見つめました。

「緑色の植物。それにこれは『土』と呼ばれるものではないか! かぐや、お前はこれをどうやって手に入れたのだ!」

「それは……」

かぐやは言葉を濁します。地球へ行ったと正直に言ってしまえば、きっとあの技術者にも迷惑がかかるでしょう。

苦し紛れに「う、裏市場で見つけたの。それを集めて……」と言い逃れを試みました。実際、裏市場で地球のものを買い集めていたのは本当です。月の住人の中には、かぐやと似たようなもの好きがいて、かぎられた地球の品物が手から手へと渡り歩いているのでした。

「そうか、お前は前から地球を気にしていたからな、高度な生き物のいない下等な星を」

「地球は下等ではないわ! 素晴らしい自然と生き物が暮らしているじゃないの!」

父は呆れたように首を振りました。

「時期女王ともいうお前は、月の力を知らなすぎる! もっと身近なことに目を向けなさい、地球は劣っている! この宇宙にあるどの惑星も、我々より劣っている。我々こそが至高の存在であり、他の下等な世界を気に掛ける必要はないのだ!」

「お父様の見方が偏っているわ。地球は下等なところに思われなかった。素敵な人が暮らしていたの。月が一番だなんて、私思えない。宇宙は広いんでしょう、探せば、もっともっと素晴らしい世界がたくさんあるはずよ。私たちはもっと他の世界から学ぶべきだわ」

部屋の空気が凍りつきました。ついてきていた衛兵が、硬い表情で互いに顔を見合わせています。かぐやも自分がまずいことを言ってしまったことに気がついていました。

王は怒りに肩を震わせていました。憎悪すら含みそうな強い目が、かぐやを睨み据えます。

「……お前は、人のいるところでわしを愚弄したな! いや、人がいようといまいと変わらない。お前は月の未来に、全く役に立たぬ人間だ! お前は月にいらない」

「ま、待ってお父様。私、そんなつもりじゃなかったのに!」

かぐやの叫びは聞き入れられませんでした。

かぐやが大切に集めてきた地球のものは、みな粉々に砕かれました。かぐやは罪人として枷(かせ)をはめられ、持っていたすべてのものを取りあげられてしまいました。

大人の気分を害することは重罪である。これは月の暗黙の了解です。かぐやはその立場からあまり厳しく言われてきませんでしたが、王に対してだけは、気を付ける必要がありました。

もうすべては遅いことです。

月の城には、真っ白な研究室がありました。そこから宇宙を旅する船を飛ばしたり、王が遠い地域へ瞬間移動したりするのです。

その研究室の最奥には、かぐやが今まで気がつかなかった機械がありました。

「ここは罪人のみが入る場所だ」

王は冷たい声でそう言い、かぐやを細長い筒の中に入れました。筒は透明な素材でできていて、王や衛兵たちの顔を見ることができます。

筒の扉が閉められると、かぐやは完全に一人ぼっちになってしまいました。

「これは、何? 私、どうなるの!?」

必死に声を張りあげました。どうやら、筒の中と外では会話ができるようになっているようです。王の冷たい声はまだ続きました。

「罪人は皆、生まれながらに罪びとだ。彼らは月に存在するにはあまりに幼稚すぎる。お前もその一人だったことは嘆かわしいが……。これが決まりだ、仕方がない。お前は月に来るにはまだ早すぎた。一度別の星で苦しみを味わい、月の素晴らしさを知るが良い」

衛兵が機械を起動しました。かぐやの周りで機械が動きだし、大きな音が耳につきます。

かぐやは筒においすがりました。王は冷たい顔のままでした。

「だが、お前は月の姫だ、その地位には変わりがない。せいぜい十数年も暮らせば、地球がいかに下等な場所か、分かるだろう。迎えをやるから、月へ帰ってくることだ。その頃には、お前にも月の良さが身に染みるだろうからな」

機械の音がいよいよ大きくなり、もう誰の声も聞こえないほどになりました。かぐやの視界が真っ白な光に包まれました。

かぐやは体を抜け出て、魂の光になって宇宙を飛んでいました。自由なはずの魂は機械の行き先に縛られて、どこにも動くことができません。かぐやはなすすべなく、月を離れて――そして、地球へぐんぐん吸い寄せられていきました。

かぐやは父である王に拒絶されたのがとても悲しく思われました。どうして、王は理解してくれないのでしょう? どうして、かぐやは地球に関心を持ってはいけないのでしょう?

「私が、何か悪いことをしたかしら?」

かぐやは打ちのめされた気分でした。ただ、楽しいことをやってきただけなのに。自分の好きなことをやりなさい、王はずっとそう言ってくれていたのに。どうして、地球を好きだといけないのでしょう? どうして矛盾が生まれるのでしょう?

「……でも私、地球へ行くのね」

ひとしきり悲しみを感じると、かぐやは別のことに思いを向けました。

「また、彼に会えるかしら。もっと一緒にいられるかしら」

今のかぐやにはもう、植物も、もらった硬貨も、何もありません。

記憶が消えていきます。覚えていることが、どんどん白い泡になるように。

月の技術は、魂の行き先を無理に決めることはできました。けれど、魂の想像力を縛り付けることは、まだできていなかったのです。

まっさらな思いの中で、かぐやは思いました。

「私、人間になるのね。明るい地球で暮らせるんだわ。どうか、おほしさま。親切な人が私を見つけてくれますように。そして私、お金に困らない暮らしがしたいわ」

星はかぐやの願いを叶えてくれました。