第4章  本当の気持ち

春休みはあっという間に過ぎて、私達は中学2年生になった。麗音と和人とはまた同じクラスになった。というよりほぼ去年の延長と言って良い。偶然だろうけれど、担任の先生も変わらなかった。

麗音とは、相変わらず彼氏彼女をまだ続けている。銀色のミッキーのストラップがリュックのファスナーについているのを、何度か見かけた。

4時間目の終わりを告げるチャイム。起立して挨拶すると、室内の空気が一瞬で緩んだものに変わる。そしてほぼすぐにやってくる麗音。

「美由宇。学食行こうぜ!」

「んー。今日は教室でお昼食べたいんだけど?」

「分かった。じゃあカツ丼買ってくるからちょっと待ってて!」

「はいはーい」

麗音は私の返事もろくに聞かず、速足で教室を飛び出していく。私は頬杖をついてそれを見送った。

相変わらず、調子いいやつ。

「ねえねえ美由宇」

優香が声をかけてくる。私は「何?」とにこやかに応じた。

「めっちゃ麗音くんと仲良さそうじゃん? なんであんなに自然に話せてるの? あたし、もう羨ましくて」

言いながら、空いていた前の席に横座りする。私は「えー?」と考えこむように言った。

時々、優香は彼氏とケンカするらしくて。一歳年上の、テニス部の先輩と付き合ってるんだけどね。悩んでいる時は私に愚痴や相談がまわってくる。私はアドバイスらしいアドバイスもできないけど……。ほら、悩みって、人に話すことで解決策を思いついたりもできるじゃない? だから恋愛関連の話が持ち上がった時は、まず話を聞くことにしている。

それから思ったことを口にした。

「無理に仲良くしようとか、私は考えてないよ。自然に話さなきゃとかも全然。たださ、向こうから『本音で話がしたい』ってことは言われているから、嘘はつかないようにしているかな」

学食行こうって声をかけられても、気分じゃなければ「教室でお昼食べたい」って言うし。映画に誘われた時も、興味がないやつには「別のにしよう」って提案するし。

優香は感心したように「はあ~」と息をついた。

「美由宇はすごいなー。あたしはちょっと厳しいな、それをやるのは。嫌われちゃうんじゃないかとか、考えちゃうから。なんで美由宇は心配なさそうに本音トークできるの?」

私は言葉に詰まる。私が麗音と付き合っている理由、いきさつを、優香に話していないのだ。何となく、誰にも言わずにおきたい。さて、どう答えようかな。

考えあぐねているところに麗音が帰ってきた。「外行こうぜ!」と明るく誘う。そのまま窓を開けてベランダに出ていってしまった。

私は「またあとでね」と誤魔化して席を立つ。ナイスタイミング。心の中で麗音に感謝した。

ベランダに出る。麗音は陽だまりにあぐらをかいて、丁寧に割り箸を割っているところだった。私もその隣に腰かける。ベランダは細長く向こうまで続いているけれど、外に出ているのは私と麗音だけだ。窓を閉めると、休み時間のざわめきもくぐもって遠くなる。私は午後の日差しの中、麗音と2人になった。

「いっただっきまーす!」

両手を合わせて食べ始める。私もお弁当箱を開けた。好物のコロッケを見つけてちょっと笑う。

「Tシャツ干してあんな」

大きな一口目を飲みこんだあと、麗音がベランダの先を目で示した。確かに、隣のクラスのベランダにはTシャツが何枚か広げて乾かしてある。

「ラグビー部のやつだよね?」

「面白いな」

目をきらきらさせて言う。私はその様子に笑い声を洩らした。そして、ふと麗音の弁当に目を留める。

「麗音って、いつもカツ丼だよね。そんなに美味しい?」

「うん。……って、もしかして美由宇、食ったことねぇの?」

「ない」

「食わないと損だって! 一切れやるから」

裏箸にしてカツを一切れ、私のごはんの上に載せてくれる。私は素直に一口かじった。衣がサクッと良い音を立てる。ゆるやかな卵とだしの味が豚肉に合った。

「美味しい!」

続けて一口、もう一口食べる。麗音も嬉しそうに自分のを頬張った。

もらった一切れを食べ終える。自分の弁当箱を見下ろした。お礼に、少しだけど何かおかずをあげようかな。

「麗音。カツくれてありがとう。お礼に卵焼きあげる」

「んー。コロッケがいい」

「好物だからダメ」

「厳しー!」

1人で爆笑している。ひょいと、私のお弁当から卵焼きが一つ掴みとられた。

実は、卵焼きも好物の1つ。コロッケには及ばないけど。でも2番目の好物を一つ渡しても良いと思えるくらい、カツ丼が美味しかったのだ。

 

午後の授業を受けている間に雲行きが怪しくなり、ぽつぽつと雨が降り始めた。私は心の中で密かにガッツポーズ。雨の日はテニスコートが使えないから、校内で筋トレになる。いつもより部活が早く終わる。

私の予想は当たった。放課後になるまで雨は上がらなくて、テニス部は廊下を使って筋トレ。腕立ては苦手で長く感じるけど、時計を見ればいつもより圧倒的に早い時間。私は昇降口を出た軒下で麗音を待つことにした。サッカー部は廊下で走り込みをしているのを見かけたけれど、きっとサッカー部もいつもより早めに終わるのに違いない。

「お疲れ様でしたー」

「おぅ、気を付けて帰れよ」

男子の声と大勢の足音。サッカー部の指定カバンを持った男子が2、3人、勢いよく雨の中へ飛び出して行った。もう少し待っていると、麗音も姿を現す。紺色の傘を持っていた。

「麗音。お疲れ」

「おう。……今日は1人で帰るわ」

「え?」

思わず聞き返していた。

いつもより声のトーンが低い。何か落ち込むようなことでもあったのかな。

そして、なんで急に「1人で帰る」とか言い出すわけ?

「麗音、どうしたの? 何かあったの?」

「別に」

傘を開かずに歩きだしてしまう。私は麗音を追いかけた。自分の傘を差しかける。返事は素っ気なくて、それが私の心を刺した。

視線が合わない。「悪いけど本当、1人で帰るから」と繰り返す。

それを見つめているうちに、苛立ちが私の中で燃え広がった。

「はあ? 何言ってんの」

気づいたら語気を強めていた。

「私はあんたが来るのを待ってたの。なのにいざ来てみたら『1人で帰る』って何!? 最初に一緒に帰ろうって言い出したのあんたでしょ」

「うっせえな。今日は気分じゃないだけだって」

「待ってた私の時間返してよ!」

「だからちょっと黙ってろ」

「何その言い方!」

言い出したら止まらなくなって、私は気づいたら次々と言葉を吐き出していた。

「あんたの機嫌なんかどうでも良いよ! 私はね、この2ヶ月間ずっとあんたに付き合ってるの。別に好きでもないのに。むしろ大嫌いなのに! それがあんたの気分1つで一緒に帰らないとか、ふざけないで」

言い終えてからはっとする。

麗音は俯いて顔が見えなくなっていた。でも、今のは見間違いじゃない。

いま、はっきりと傷ついた顔をした。

でも、素直じゃない私はこの場で謝ることもできなくて、ただただ黙ってしまっていた。

「……そうかよ」

やがて麗音は言った。後退るようにさしかけた傘を出る。視線は合わない。

「まあそうだよな。お前は俺のこと……。森、だもんな。お前が好きなのは。つまんなくったって、大嫌いだてしょうがねぇ。だけど俺は楽しかった。これだけは言っとくよ。お前といられて……すごく。俺は、美由宇のこと好きだったから」

「え」

「じゃあな、笹原」

温度を失った言葉。麗音は雨の中を走り去ってしまった。

引き留める間もなかった。今聞いた言葉が信じられない。

麗音が……私を好き?

和人に渡そうとしていたクッキーを奪い取って「俺と付き合えよ」って言ったのは、そんな理由があったからなの?

もっと他の言い方……してくれたらよかったのに。

ううん、言い方を変えるとかいう問題じゃないだろう。

麗音、ごめんね。

私はしばらく動けずにいた。

 

「ねえ、美由宇。麗音くんは良いわけ?」

「うん」

優香の問いかけに気のない返事をする。弁当箱からコロッケをえらんで口に入れた。

かぼちゃの柔らかい甘みも、ソースのかけ具合も完璧。なのに、あんまり美味しくない。

あの雨の放課後から一週間が経とうとしていた。

私は目を上げてそれとなく教室を見渡す。麗音の姿を探していた。いない。最近はいつもそう。昼休みになると1人教室を出ていって、5時間目が始まる直前まで戻ってこない。学食に行っているんだろうか。やっぱりお昼はカツ丼なのかな。それとも別のものを食べているのかな。

あれこれ考えて、そしてそんな自分に気づいて嫌になる。

なんであいつのことを心配してるの? 麗音にぶつけた言葉は私の本音じゃないか。私は嫌々付き合っていただけ。それを伝えて向こうが傷ついたって、どうだって良い。良いんだ。そう思うんだ。

……私、何やってるんだろう。

「もしかして、2人はケンカ中? あんなに仲良かったのに」

優香が不思議そうに首を傾げる。私は卵焼きとごはんを口に入れた。飲みこんでから答える。

「……ケンカ。なのかなぁ」

「よく分からない感じなの?」

「別れたかもしれない」

「え! マジで!?」

「分かんない」

思うまま答える。私は本当に分かっていなかった。

私と麗音はいまどういう関係なのか?

そして、私は彼になんと言えば良いのか。

大嫌いだと言えたら楽だ。てかそれはもう言った。言っちゃった。でもそれが私の本心? 本当に? 自問すると、心の中の私は首を傾げる。大嫌い……まではいかないんだよね。じゃあ嫌い? うーん、どうだろう。

顔を見たくもないほど、じゃない。

別れたかもしれない。

優香にはああ言ったけど、口に出した瞬間に心が暗くなった。

あれ、この心の感覚は。

毎日のように一緒にお弁当を食べて、2人で帰って、時々どこかへ遊びに行って。

麗音と過ごした時間は楽しかった。楽しかったんだ。

「……優香はどうなの? 片岡先輩とは?」

話題を変えようと問いかける。優香は目を輝かせ「それがね!」と乗ってきた。

私にはその明るい反応が意外だった。

「勇気を出して、思っていたこといろいろ言ってみたの。そしたら先輩も分かってくれてさ。話したあと、一緒にケーキとか食べに行って……今まででいちばん楽しかった!」

「機嫌悪くなったり、なかったんだ?」

「うん。どうして今まで先輩の機嫌を心配してたんろう? って、自分で自分が不思議だったよ。でもあたしが勇気を出せたのは美由宇のおかげだよ。ありがとう」

「そうかな~。まあ、嬉しいよ」

謙遜しつつも感謝を受け取る。明るく笑いながらも、私は考えていた。

好きな人に嫌われたくない。私だってそう思う。

和人に嫌な顔されたり、「嫌いだ」と言われたら……。駄目だ。考えただけで心折れそう。

嫌われたくないから、相手の表情に、言葉に、期限に注意を払う。相手を不快にさせないようにする。

そうやって本音を飲みこむ。

優香がやったのは、それとは逆のこと。怖くても、自分が何を思っているのかを伝えること。うまくいったのは偶然かな? それとも、これは必ず成功する「うまくいく方法」なんだろうか。

もし目の前にいる和人に「どこ行きたい?」って聞かれたら、私は正直に答えられるだろうか。

和人の顔を思い浮かべようとするのに、すぐ麗音の顔に切り替わる。白い歯を見せて笑う。

麗音になら言える。カラオケよりゲーセン。ケーキ屋よりカフェ。道端で見つけた面白いもの。並んで歩いて、目に入ったものなんでも。

それは麗音に好かれようが、嫌われようがどうでもいいから、じゃない。麗音が受け止めて聞いてくれるって、私を嫌わないって分かっていたからだ。

麗音がどうしてもカラオケに行きたかったらしいときは「頼む! ドリンクバーおごるから! 1時間だけ」って言われたし、「ごめん、金欠でさ……」って苦笑されて、気になっていたカフェの前を素通りしたこともある。

でも、1度だってはねつけられるように拒絶されたことなんかなかった。どうしても無理な時は丁寧に謝ってくれて、だから私もまったく悪い気はしなかった。

今思えば、麗音はすごく良いヤツだった。私は和人の顔を思い描くのをやめている自分に気づいていた。記憶に新しい、白い歯が見えている。でも、でも。

あんなひどいこと言って、ごめん。私、今は麗音のこと。

いちばん大きな本音。私にはそれを口に出す勇気が持てない。

 

薄暗くなるテニスコート。ネットの向こう側からボールが返ってくる。私はラケットを伸ばした。空ぶりする虚しい感覚。

「美由宇ドンマイ」

優香が素早くボールを拾いにいって、近づいてくる。試合は終わってしまった。キャプテンの「コート整備!」の一言で、1年生たちが用具入れに走っていく。後輩がいて戸惑うことも多いけど、コート整備と球拾いから解放されたのは爽快だ。

知らず溜息が出る。

「どうしたの?」

優香が顔をのぞきこんできた。私は「今日は、調子悪かったなーと思って」と正直に言った。ふがいない自分を誤った。優香はしっかり頑張っているのに、私はミスばかりしている。このままじゃ、仲間にも勝てなくなりそう。自分のミスで点を失っていくのは、実力が及ばず負けるより何倍も悔しい。

のろのろと帰り支度をして、解散。昇降口の辺りにさしかかったときに、低い声が「よう」と声をかけてきた。私ははっとして顔を上げる。

そこにいたのは、野球部の指定カバンを肩にかけた和人だったのだ。ちょうど帰るところらしかった。

「お……お疲れ様」

「ん」

緊張しつつ声をかける。返ってくる軽い返事。なんとなく並んで歩きだした。私と和人は同じ小学校だっただけじゃなく、家が通りを2本挟んだだけ、という近所だ。必然的に似た帰り道になる。

街灯の明かりが歩道を照らしている。こんな遅くに犬の散歩をするおばさんとすれ違った。私は緊張しながらも言葉をまとめ、話しかける。

「和人」

「なんだ?」

「もし、和人に好きな子がいてさ。その子があれ食べたい、あそこ行きたいとかいって色々言ったら、嫌だなと思う?」

言葉尻は夜の空気の中に溶けていった。和人は考えこんでいるのか答えない。口を引き結んだまま歩き続ける。私は答えを待った。

しばらくして和人は言った。

「うん、面倒臭いな。てか女といること自体、面倒。彼女にするなら顔が可愛ければ誰でも良いよ」

……え?

「中身は関係なし? 一緒にいて楽しいとか、気にしないの?」

「見た目って大事だろ? ブスな女でも連れ歩いてみろ、おれの株が下がる。

てかさ、明日の小テストって範囲どこだっけ?」

私は夢から覚めた気がした。

意外な言葉に驚く私と、何かがふっきれてあっさり受け止めている私がいる。

私は足を速めて和人を追い越すと、少し行ってから振り返った。

「私、やっぱり先に帰るね」

「は? おい、どうしたんだよ急に」

「別に? ただあんたじゃないなって思っただけ」

くるりと背を向けて走りだす。和人が呼び止めようとする声が聞こえたけど、私は立ち止まらなかった。足がアスファルトを蹴るたびに、心がどんどん生まれ変わって、どんどん軽くなっていく気がしていた。

私はどこかで知っていた。

和人はああいう奴だって知っていた。

ただ、好きになっちゃったから、なんでも魅力的に見えていて。分からないふりをしていただけだ。

私は和人のことが好きだった。「だった」のだ。つまり過去形。

今の私にとって大事なのは別の人。私の心を聴こうとしてくれた人。

本音で話ができる人だ。