第3章  本音で話すこと

放課後の校庭。まだ隅のほうに雪が残るコートでも、部活はやる。球出しの先輩が打つボールが夕空に上がって、落ちてきた。私は距離をはかって近づき、ラケットを振る。ボールが真ん中に当たる気持ちのいい感触があって、爽やかな音とともにネットを越えていく。私はその着地を認めると素早くコートを走り出て次の人と代わった。

「ラスト一本!」

キャプテンから声がかかる。私は「はい!」と声を張り上げた。列を抜けて球拾いに入る。

ソフトテニス部に入ったのは、単純にかっこいいと思ったから。私ははっきり言って強い方じゃない。へたくそだ。でも、部活の中で試合をするのは楽しい。

夏はじりじり暑いし、冬はめっちゃ寒い。雪だって降る。でもコートを走り回ってボールを追いかけるわくわく、サーブがうまく決まった時の達成感、試合で点が入った時、ペアの子とハイタッチすること。

とにかくそういう全部が楽しくて、大好きなのだ。

「休憩―」

球拾いが終わる。キャプテンの声。コートに漂う空気がふっと緩んだ。私は近くを通った友達と「お疲れ様」を言い合う。

「美由宇。水飲み行こうよ」

「えー。寒いじゃん」

「ついて来てくれるだけでも」

ペアを組んでいる優香が言ってくる。私は仕方ないなと笑ってついていった。

水道に着いてみると先輩たちが何人かいて、私達は静かに順番を待つ。

コートに戻ろうとした先輩が振り返る。目が合った。口を開く。

「そういえばさぁ。サッカー部の久保田って一年生、美由宇ちゃんのコレなんでしょ?」

コレ、と言いながら小指を立てる。カレシの意味だ。私は「はい……まあ」と歯切れ悪く認めた。

私が否定したところで、麗音は言いふらすでもなく、ただ尋ねられたら素直に答えているらしいので広まるのだ。それはこの一か月で体験済み。

先輩は「いいなぁ~!」と目を輝かせた。

「久保田って年下だけどイケメンだよね! 美由宇ちゃん羨ましい!」

「そ、そうですか? あいつ別に優しくないし……」

「いやいや、照れなくても良いってば」

軽く肩を叩いて去って行く。その後ろ姿を見送りながら、私は思った。

いつも「付き合うなら絶対! 年上!」と公言している先輩が、麗音をイケメンだって言ってた。あんまりそう思ったことはないけど……そうなのかな。

ただの調子いいクラスメイト。よくお喋りする男子。今までの麗音に対する印象はそんな程度。そして今は、私の本当に好きな人を知っている嫌味なヤツ。

さっきは「別に優しくないし」って言ったけど、だからと言って私に暴言を吐くこともないし、話はちゃんと聞いてくれるし。

いろいろ考えすぎて、なんだか頭がごちゃごちゃしてきた。

 

翌日は天気の良い土曜日。そして、麗音と町に行く約束をしている日だ。

待ち合わせは11時でまだ余裕があるのに、朝の7時に目が覚めてしまう。「デート」と呼んで良いものにわくわくしている自分に気づいて、私はちょっと嫌になった。

傍から見ればデートかもしれないよ? でも私、別に麗音のこと好きじゃないし。言われて付き合ってるだけだもん。もし今日の約束が和人とだったら……。どんなにか嬉しかったことだろう。

でも何となく、いつもよりガーリーな服を選んで着替える。財布、携帯……持ち物を確かめて家を出た。

麗音と会うんだから、無愛想に「おはよう」を言ってやろう……。

ちょっと性格悪いことを考えていたのに、最寄りのバス停が見えてきた時、私のそんな考えは吹っ飛んでしまった。

バスを待っている見慣れた背格好。毛先が外側に跳ねた黒髪は。

私は思わず小走りになって、顔を覗きこむように声をかけていた。

「……麗音?」

「おう。おはよ」

「おはよう……」

無愛想にするどころじゃなくびっくりして、思わず素で返してしまう。慌てて記憶をたどった。

どうして麗音がここに? 麗音の家は確かそれなりに離れている。このバス停を使うはずがないのに。

「ど、どうしてここにいるの?」

尋ねると、麗音はこともなげに言った。

「いや、美由宇の家の場所は詳しく知らないけど、駅行くならバスを使うっては聞いていたから。迎えにこようかなと思って」

「ありがとう……」

呆然とお礼を言う。麗音は「感謝されるほどのことでもねぇよ」と明るく言った。

「それよりさ!」ともっとトーンを上げて話題を変える。

「美由宇、甘いモン好きか?」

「え、まあ、好きだけど」

「前から決めてたカフェとディズニーストアの他にさ、ここにも行ってみねぇ?」

そう言って、背負っていたリュックのポケットから四つ折りの紙を取りだす。そのまま渡してきた。受け取って開いてみると、それはホームページをコピーしたもの。きらきら光る一口大のケーキやチョコファウンテンの写真が映る。流れるような金文字で「春のスイーツ祭り」と書いてあった。

「2時間いられて、食べ放題らしいんだ。こういうの好きかな、と思って」

「うん、めっちゃ楽しそうじゃん! ありがと!」

思わず満面の笑顔で答えると、麗音も嬉しそうに、そして少しほっとしたように笑った。

そこへちょうどバスがやってくる。私達はバスに乗りこんで、うきうきと町へ向かった。

「寄りたいと思った店とかあったら、遠慮なく行ってくれよ。せっかく行くんだし」

「うん。……麗音は、町までよく出かける?」

「いや、滅多に行かね。あんまり人混みが好きじゃないんだ」

「意外。でもサッカー好きでしょ? 試合観戦に行ったら人混みじゃん?」

「そこが悩みどころなんだよな。好きだから時々家族で行くけど、帰ってくるとぐったりしちゃって」

「そっか……」

「美由宇は、人ごみとか平気なのか?」

途切れず続く会話。私はその日1日、不機嫌な顔を取り繕うのを忘れた。

次に時計を見たら、もう夕方。麗音は電車とバスを乗り継いで、家の近くまで私を送ってくれた。

春休み。もうすぐ新学期が始まろうとするこの時期は、寒かった冬に比べて日が長くなりはじめている。吹いてくる風はまだ少し冷たいけれど、私は弾んだ気持ちでいた。

そんな自分にちょっと違和感。麗音は私の好きな人じゃない。でも、今日いちにちを一緒に過ごせて、楽しかった。

薄暗くなる道を歩く。家の前に着いた。私は「ここウチだから」と足を止め、そしてためらいながらも言う。

「今日は、いろいろありがとう。……思ってたより楽しかった」

「なら良かった。俺も。一緒に出掛けてくれてサンキュな」

麗音が白い歯を見せて笑う。その笑顔は、どうしてかいつも眩しい。

「あ。そうだ」

思い出したように言う。リュックを探った。

取りだしたのは、ディズニーストアの小さな袋。

中を探り、「はい」と何かを手渡された。手の平に握ったそれを開いてみると、ピンク色のミニーマウスのストラップ。

「これ、どうしたの?」

尋ねると、麗音はちょっと照れ臭そうに頭を掻いた。

「実はそれ、ペアストラップなんだ。俺のは銀色でミッキー。お揃いのやつ持てたら嬉しいなと思って……。その。もしよかったら使ってくれ」

「おおー。カレカノっぽい」

私は相手が誰かという問題ではなくて、男子とペアストラップを持っているという事実にわくわくした。麗音は静かに言う。

「今日は、本当にありがとうな。一緒に過ごせて楽しかったし、嬉しかった。

あのさ、ちゃんとわかってるんだ。美由宇が俺と一緒にいるの嫌だってこと。……別に、俺のこと好きじゃないもんな。態度に出そうとしなくてもそれは分かってるつもりだ。だけどできるだけ楽しませたいし、嫌な時は嫌だって言ってほしい。俺は美由宇と、本音で話がしたいんだ」

言うと麗音は「じゃあな」と言って背を向ける。私が引き留める間もなく駆け出して、通りの角を曲がって行ってしまった。私はしばらく角を見つめていたけれど、やがて思い出して家に入る。その間にも考えていた。

楽しい時は楽しいと、嫌な時は隠さず嫌と言う。

自分に素直になるって、本当にやって大丈夫なのかと不安に思っちゃうことだ。楽しいフリ、嫌なフリをしていた方が楽かもしれない。

でも1つ分かった気がする。麗音は私に「本音で話す」ことを求めている。嫌だとかキライとか、全部聞く気でいるんだろうか。本音で話して、本当に良いの? でも私も本音で話すことが、麗音に向きあうこと、失礼のないようにすることなんじゃないかと思う。一緒にいて、常に楽しくないわけじゃない。麗音は面白いヤツだし、なんか話が盛り上がる。

良いヤツだな、と思う。友達としては。

左手に持ったままのストラップを握りしめる。金属のプレートにミニーマウスが彫りこまれている。私は部屋に入ると、それをペンケースを選んでつけた。