十一月七日

原因不明の息苦しさを訴えて病院に行くと、「顎関節症だね」と告げられた。
意外な診断だった。

ここで少し、私と謎の息苦しさとの、割合長めの付き合いを振り返っておく。

はじめに息苦しさを自覚したのは中学に上がった頃であった。
自分で精一杯に息を吸いこんでも、何か重い物が肺に蓋をしている感じがあって、必要だろう量の空気が入ってこない。
常に深呼吸をしているような状態になる。

その症状で循環器系の病院にかかったが、具体的な病名は宣告されなかった記憶がある。

私は幼い頃に小児喘息にかかった時期があって、病院に一泊したことがあるが、その他に大きな病気にかかった記憶はあまりない。
あとは学校を休みたい時や全く油断している時に、風邪やインフルエンザに負けるくらいのことである。

 

さて、初めて具体的な病名をつけた先生は、続けてこんなことを言った。

「ヤクザって会ったことある?」

「は?」

「ヤクザ」

「はあ……。まあ、映画の中くらいでは」

そこの先生は東洋医学も取り入れたスピリチュアルな治療をする人で、私もそれを知った上でその病院を選んでいる。
しかしこの場で急にそんなことを言いだすので、私は面食らったのだ。

今になって考えるが、「会ったことある?」の問いに対して「はい、友達が……」とか答えていたとしたら、先生はどんなリアクションをしたのだろう。
無論そのような友達はいないのだが。

先生は私が「ヤクザ」の例えが通じるらしいことを見てとると、満足そうに頷いた。

「ヤクザってね、『この野郎!』ってするでしょ」

と、自身の首元で胸倉をつかむ振りをする。
もうちょっとこう、手首を捻らないと首が締まらないんだよな、と、私は本で読んだ知識を反すうする。

先生は、「今の君の状態はそれだよ」と言いたかったらしい。
先生の見立てによると、首から気管辺りにかけての気道が狭くなっているらしい。
実際、呼吸量の検査みたいなものをしたのだが、成人の平均数値に比べると私のは随分低かった。
五百が平均だとしたら、私は三百しかない。
そんな感じのことを言っていた気がする。

先生はさらに続けた。

「脳がね、全然動いてない。肩が固まるから顎もズレる。
でも大丈夫。次に来るまでには治るからね。
肩こりも、車酔いも、吐き気もみんな治る」

私は驚いた。
車酔いはずっと小さい頃からで、肩は高校受験の頃から凝るようになっていた。
両者には何の因果関係もないと思っていたのだけれど。

驚き醒めやらぬうちに診察は終わり、漢方薬を処方されて病院を出ていた。
スピリチュアルな先生だとは聞いて知っていたが、あの直感的な診察は想像以上だった。
十五分で力のある人の個人セッションを受けたとしたら、あんな感じで慌ただしく、しかし的確な話が得られるだろうか。

 

帰宅してから、顎関節症という症状についてさらに詳しいことを調べてみた。
原因として思い当たることが実にたくさんあり、私は先生のすごさを噛みしめて笑いながら頭を抱えた。

「顎を強く打ちつける怪我」

その通り。
五歳の頃、走る足を踏みだした先に水がこぼれていて、盛大に顎から転んだ事がある。
数針縫う怪我だった。

「自律神経失調症」

そもそも、心の一部ではこの状態を疑って病院にかかったのだ。
私の素人見立てが幸運にも当たったと言えるかもしれない。

調べてみると、「自律神経失調症」というのは具体的な病名ではないらしい。
あくまでも状態を示す名前に過ぎないようだ。
さらには、自律神経失調症という状態が進むといろいろな病に繋がるらしく、その中に顎関節症との記載があるホームページも見つかった。

自律神経失調症によって起こる顎関節症は、ストレスで無意識に奥歯を噛みしめていることが一因のようである。
少し意識して記憶を辿ると、果たして私にもそのクセがあった。

また顎関節症の診断方法の一つとして、「口を開けた時に音が鳴る」というのがあるらしい。
診察室に入っていった時「口開けてみて」といきなり言われたことを思い出した。
確かに私は、口を開ける時に顎関節の辺りから「カクン」と小さな音がする。
指摘されるまで、みんなそんなものだろうと思った気にしたこともなかった。

日常生活に潜む原因はさらに多岐に渡った。
ほとんどは生活上の癖である。
頬杖、腕枕での昼寝、うつ伏せで読書……。思い当たることがありすぎる。

私は着物を着るのだが、帯を締めているので強制的に背筋を伸ばすことにもなる。
ますます「着物で暮らそう」との決意を強くした。

 

処方された漢方薬は三種類で、朝夕食後に飲むことになっていた。
夕食後に早速飲んでみると……。
別段、変わったところはない。
西洋の薬ではないので至極当然である。
私はすぐ出る効果を期待してはいなかった。

だが漢方の御陰かはさておき、いつもと違うこともあった。
足先まで暖かいのである。
いつもは靴下を履いていても足先だけ冷えているものだが、この日はお風呂の湯温を持続しているみたいに暖かかった。
久しぶりに靴下なしで寝たが、翌朝まで温かさは続いていた。

 

 

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