12月27日  転換

「優木、本当に今送った格好で良いと思う?」

「大丈夫だって! 自信持ちなよ。南波は可愛いんだから」

「お世辞だね、ありがとう」

「馬鹿、褒め言葉は素直に受け取りな~?」

耳にあてがった携帯から聞こえるのは、優木のさっぱりと明るい声。部屋の壁にかけられた時計は朝の八時四十五分をさしている。やばい、もう少しで家を出なくちゃいけない時間。

聖夜さんと映画に行く。二人っきりでお出かけ。

そのことを考えるだけで私は舞い上がった。そして同時に、ある重大な問題に気付いたの。

明日、何着ていこう?

べ、別にデートだなんてわけじゃないけどさ? どうでもいい服を着ていくのは嫌だった。聖夜さんの前ではちょっとくらいお洒落がしたい……。

それで、ファッションのことは優木の方が詳しいから、優木に電話をかけて事情を話したのだった。優木からの返事は一言。

「写真送って」

いくつか挙げたコーディネートを着て、鏡に映して写真を撮り、それを送ってくれっていうわけ。私はすぐ言われた通りにした。そうしたら改めて電話がかかってきて「あの白いやつがいいよ、大丈夫!」って背中を押してくれたの。

二時間考え抜いて私が選んだのは、白いニットのトップスとワインレッドのプリーツスカート。帽子やらネックレスやらは似合うと思えるものが無かったし、普段からあまり使わないのでつけなかった。

「大丈夫だいじょうぶ。本音だよ? 南波は可愛いよ?」

受話器越しのはっきりした声。私は「うん。ありがとう」とだけ答えた。お互いに「じゃあね」を言い合って電話を切る。部屋の中を歩きまわっていた足を止めた。

目を落として、プリーツスカートを広げてみる。色と、ひらっとしたシルエットに憧れて買ったやつ。お気に入りの服の一つだ。顔を上げるとちょうど姿見の前だった。鏡に映る自分を見つめ、心の中で「可愛い……かな」と問いかけてみる。

自分では自分のこと、可愛いなんて思えないよ。

でも、優木はお世辞を言うような人じゃないしな。

手放しで「可愛い! 自信持ちなよ」って言ってくれたのなら、それは本心なんだろう。けれど。

優木の心を疑っているわけじゃないの。

自分に自信が持てないだけ。

 

家を出て電車に乗り、中央駅の改札を出る。すぐにあるステンドグラスの前が待ち合わせ場所だった。

ステンドグラス前はいろんな人が使う待ち合わせスポット。高校生くらいの女の子たちが集まって話していたり、三十代くらいのスーツの男性が携帯電話を見ていたり。

立ち止まっている人、歩いていく人の向こうに、私は聖夜さんの姿を見つけた。目が合う。聖夜さんが微笑むと目じりがきゅっと下がって、私の大好きな顔になった。

……嫌だ、私。「大好き」だなんて。

聖夜さんはただの友達。友達だよ。妖精でサンタクロースで……そういう、不思議な友達。

ラブだね。そう言って笑う優木の顔が思い出される。私は聖夜さんに駆け寄りながら、その回想を頭から追い出した。

「おはよう」

ちょっと緊張しながら声をかける。私の注意はすべてが目の前の聖夜さんに向いて、もう他のことなんてどうでもよくなってしまった。

聖夜さんも穏やかに「おはよう」を返してくれて、それだけで私は笑顔になる。会話を繋げようとして、私は硬い声を出してしまった。

「ご、ごめん。ちょっと待たせちゃった?」

「ううん、大丈夫。僕も今来たところだから」

話しながら歩きだす。近くのビルに映画館が入ってて、今日はそこに行くことになってるんだ。

自動ドアをくぐると、もうそこは映画の入口。絨毯敷きの床と、空気に満(み)ちるポップコーンの香り。あ、映画を観にきたんだなという気分にさせられる。

「うーん。南波ちゃんはどれが観たい?」

チケットの列に並びながら尋ねられる。私は前方に目をやって、公開中の映画の一覧を眺めた。この中で観るなら……どうしよう。

「聖夜さんは何がいい?」

「僕? 僕はねぇ……」

私と同じように前方のパネルを見る。ざっと見回して、直感的に「あれかな」と指さした。指先を目で追った私は、心臓がときめきに高鳴るのを感じる。

「魔法使いシリーズの最新作だよね? 聖夜さんも好きなの?」

「もしかして、南波ちゃんも観てる?」

「うん。映画は一通り」

「ほんとに! 僕は原作も読んだよ。面白いよね」

二人で顔を見合わせて笑う。

もっと詳しく尋ねたらね、聖夜さんは魔法使いシリーズが大好き。原作は七作あってどれも分厚いのに、全部を読み切ったとか。

「実は南波ちゃんを映画に誘ったの、魔法使いシリーズの最新作が観れたらいいなーと思ってたからなんだ。興味ないなら無理強いするつもりはなかったんだけど、さ。誰かと一緒に観て、感想を話し合えたらいいなと思って」

「偶然だね。私も映画はずっと観てるの。小学生の時からかな。本の方は、ちょっと難しくてやめちゃったけど」

肩をすくめてみせる。顔は笑っていたけれど、蘇る苦い思い出は消せなかった。

子供の頃、不思議が大好きだった。

魔女、魔法使い、空飛ぶほうき、魔法学校、妖精、ユニコーン、天使、小人……。サンタクロースも。

でも私の周りにいた友達は本をあまり読まないし、映画やテレビの趣味も違うみたいだった。話の合わない私は馬鹿にされることが多かった。

魔法なんてありっこない。妖精や小人なんて空想だ。サンタクロースは来てなくて、ただ親がプレゼントを置いているだけなんだ、と。

私の身の回りにはなくても、広い世界のどこかにはそういう「不思議」が存在すると信じていた。

でも「ありえない」と言われ続けている間に、私は冷めてしまったの。

嫌な意味で、おとなになった。

信じ続けていた不思議は揺らいで、「みんながありえないって言うから、そういうものなのかな」って思って、熱中することをやめてしまった。面白くない現実が後に残った。

物質的で、理屈を並べて、目に見えるものしか信じない。不思議の詰まっていた星空も、虹が輝く理由も、全部が説明できてしまう。そして私はその物の見方に慣れていった。

「次の方どうぞ」

スタッフさんの声で現実に引き戻される。聖夜さんと一緒に進んだ。映画のタイトルを伝えてお金を払い、チケットを受け取る。出口を抜ける頃に聖夜さんが言った。

「魔法使いシリーズね、僕もすごくハマった。今は手放したものも多いけど、魔法の杖とか本とか集めてたなあ。このシリーズってさ、ドラゴンとか小人とかも出てくるでしょ? あれがかなり実物に近いから面白くて」

私はびっくりして聖夜さんを見あげた。

「ドラゴン!? 妖精の国にはドラゴンも住んでいるの?」

「もちろん。人間たちの間で『伝説の生き物』って語られている子たちは、みんな実在するんだよ。まあ、あんなに狂暴なドラゴンの方が珍しくて、実際のドラゴンは穏やかで礼儀正しい、尊敬すべき存在なんだけどね」

「へ、へえ~」

驚きを隠せないまま頷く。今度は飲み物を手に入れるべく売店の列に並んだ。私は無難にウーロン茶を買ったけど、聖夜さんはホクホク顔でココアとチョコクロワッサンを買っていた。

映画の話が続くほどに、私は昔の躍動感を思い出していく。不思議が世界のどこかには必ずあると信じていた頃のこと。私が抱いていた考えはひとりよがりな思いこみじゃなく、本当のことだったんだ。

 

映画が終わると、時間はもう正午を過ぎている。私たちは同じビルの中にある喫茶店に入ってランチを頼んだ。どこかに落ちつくまでは溜めておこう、そう思っていた感想を話したくて共有したくて、せきを切ったように口から溢れだす。私達はお互いに話して、聴きあいながら、時間も忘れる勢いで話し続けた。

「あそこであいつがさ」

「まさか一番、主人公を助けていたなんてね!」

「本当に空飛んでる気分だった」

私は話の途中で気がついて、聖夜さんの言葉に耳を傾けながらキッシュをかじった。ほどよい塩味と卵のふんわりした食感が美味しいけど、すっかりさめて冷たくなってしまっている。

でもいいや、と思えた。聖夜さんの生き生きした顔を目の前で見れて、その弾んだ声を聴いていられることが、この上なく幸せなことに思えたの。

話の合間に少しずつランチを食べて、また話す。楽しすぎて私は本当に時間を忘れていた。席に西日が差しこんできたのに気付いて、聖夜さんが携帯で時間を確かめる。

「わ! 時間経つのが早いね。もう四時近いよ。どうしよう、そろそろお開きにしようか?」

尋ねられ、私はすっと「もっと一緒にいたいな」と口にしそうになったのをこらえる。

そんな我が儘、口に出しちゃ駄目だよね。聖夜さんだってきっと忙しいだろうし。

私なんかと話してても、きっと聖夜さんは楽しくない。これ以上付き合ってもらうのは悪い。

「そうだね」

私は頷いていた。

曖昧な笑顔になっていないかな。大丈夫かな。

聖夜さんは何も気づかなかったみたい。手早く皿とカップを重ねてテーブルを綺麗にし、ついでに私のやつもまとめてくれる。返却口に置いて店を出た。

「駅まで送るよ」

「そ、そんな申し訳ないよ」

「いいの。僕が送りたいと思っただけだから。全然悪いと思うことはないんだよ」

聖夜さんの話し方は穏やかで、そして透明だ。すべてが本音で、一切の嘘のないことが分かる。私は言われた言葉が嬉しくて、同時にそんな態度が眩しくて……引け目に思った。

歩道橋の上を並んで歩く。林立するビルの合間からさしこむオレンジ色の夕日。タイルの上に私の影と、聖夜さんの細長い影、二つ並んで伸びた。まわりを歩く人の姿は昼間より減っている。少し離れたところを女の子のグループが通り過ぎた。

もっと駅までの道が長ければいいのに。もう着いてしまう。

足を止めて、聖夜さんに向きあう。「今日はありがとう。すごく楽しかった」と伝えた。

ありがとう。なんて。すごく楽しかった。なんて。自分の柔らかい気持ちを素直に口に出すのに、私はありったけの勇気をかき集めなければならなかった。

聖夜さんは伝えた言葉をしっかりと受け止めてくれて、

「こちらこそありがとう。僕も楽しい一日が過ごせたよ」

と笑った。

「ねえ、南波ちゃん」

少し硬い口調になって先を続ける。私は「なに?」と尋ねていた。

聖夜さんは言う。

「今日は、本当にありがとう。それで、もしよかったらなんだけど……またどこかに出かけない? 例えば、ディズニーランドとか」

ちょうど大晦日のイベントとかがあるから、急だけど一緒に行けたらなと思って。年越しを一緒に迎えたいなと思って。

押しつけるようじゃなく、至極穏やかに聖夜さんは言った。

「僕、ずっと南波ちゃんのことが好きなんだ」

呼吸が止まった。

言われた言葉が衝撃的すぎて、とっさに黙り込んでしまう。肩から上が急にのぼせたように熱くなって、周りのざわめきが、空気の冷たさが遠のいた。

代わりに音量を上げたのは頭の中の声。

今の、聞き違いじゃないよね? 聖夜さん、私のこと好きだって言ったよね?

聖夜さんが私を好いてくれてる。同じように好意をもってくれてたんだ! 嬉しい!

でも。

私は、可愛くない。私よりもっと可愛くて、綺麗で、素敵な人は世の中にたくさんいる。

聖夜さんは落ち着いて大人びていて……まっすぐな人だし、すごく良い人だと思う。

だから私なんかよりも、もっと隣を歩くのにふさわしい人がいるはずで。

私なんか、聖夜さんに釣り合わないんじゃない?

隣を歩けたら、嬉しい。でも、でもでもでも。

釣り合わない。

釣り合わない。

私には魅力がない。綺麗な聖夜さんと並んで堂々といるだけの魅力が。

答えちゃいけない。とてもじゃないけど応えられない。あまりにも素晴らしすぎる貴方の気持ちには。

だって私、貴方が眩しいんだもの。

どうして良いか分からなくなってしまうくらいに。

「ご、ごめんなさい」

気づいたら後退っていた。外してしまった視線はもう上げられない。聖夜さんの顔を見ることができない。

頭の中の声がうるさくて、私はこの場をできるだけ早く立ち去ることしか考えられなくなっていた。自分が何を言っているのかすらいまいち理解できていない。

「ごめんなさい。私……すごく嬉しいんだけど……。ごめんなさい。時間をちょうだい」

必死に言い切って背を向ける。名前を呼ぶ聖夜さんの声が追いかけてきた気がしたけれど、私は振り返らず、足を止めず、改札を通り抜けた。

ホームまでの階段を駆け下りる。ホームでは今まさに電車が到着するところだった。行儀よく一列に並ぶ人たちに私も混ざる。ドアが開いて人が降りる。列が車内に吸い込まれる。私ものろのろと乗りこんで、開いているのと反対側のドア横に落ちついた。空席がちらほらあったけれど座る気にはなれない。同じ車内にいるみんなは、私と違ってなんの心配事も気がかりも、後悔もないように見えてしまう。

ドアが閉まる。大きな溜め息をついて列車が進みだした。少しずつ流れを速めていく景色をぼんやり視界に入れながら、私の心はこの場にない。

どうして私はこうなんだろう。

どうして私は私なんだろう。

どうしてただ「ごめんなさい」しか言うことができないのかな。

聖夜さんに好きだって言われて、本当に本当に嬉しかったのに。

嫌われたかもしれない。

ううん、嫌われていたら楽だ。もう会わなくて済むんだもの。嫌われたくない……いや、どうか嫌っていて。私に幻滅して。

体がどんどん重くなって、胸の辺りが苦しく塞がってくる。大声で泣いてしまいそうになったけれどなんとかこらえた。

あまりにも自分が惨めに思われた。

いつもの駅で電車を下りる。重い重い足を引きずるように、下を向いたままのろのろと家まで歩いた。暗くなって、街灯の明かりが少しずつ目立っていく。今の私にはこの暗さがありがたかった。

鍵を開けて家に入る。もう靴を脱ぐ気力もなくて、私は玄関に倒れ込んでしまった。一日留守にしていた部屋は暗くて冷たい。でも居心地よく感じられもした。

組んだ両腕に顔を伏せる。頭の中は相変わらずまとまりがつかない。頭の芯が痺れて、つかみきれない言葉が回りつづけている。集中しようとしてもすり抜けてしまう。ついに全部を把握しようとすることを諦めた。

もう駄目だ。私はやっぱり、何もできない。

何も。

大好きな人に気持ちを伝えることすら。

変わりたい。……変われない。

きっとどう頑張っても私は私だ。好きな人を自分から遠ざけて、嫌われるような態度をとって、全部終わってから後悔する。そして何もかもが手遅れになる。

いつまでも、きっと、そうなんだろう。私は願うだけで変われない。社交的で可愛い女の子にはなれなくて、好きな人に「好きだ」って言うこともできなくて。

ずっと、そうだった。

だからこれからも、そうなんだろう。

変わりたい。変わりたくない? 変わりたかった?

もう分からない。

クリスマスは、もう終わり。願ってもサンタクロースはプレゼントを持ってきてはくれない。いい子にしていないとプレゼントはもらえないのよ……。

鞄が震えた。

重い頭を持ち上げる。顔にかかった髪をかき上げた。視線の先に鞄があって、私はのろのろと腕を動かしてファスナーを開ける。まさぐって奥に沈んでいた携帯電話を取りだした。映画を観るからって、マナーモードにしていたんだった。

ホームボタンを押す。暗がりに慣れた目に画面が眩しい。表示された通知におどろいて、私はしばらく体を動かせなくなってしまった。

TALK。久利州聖夜からメッセージがあります。

心臓が大きく跳ねた。喜びと、不安と。正反対のエネルギーを持つ感情が心に広がっていく。

恐る恐る開いた。

「今日は一緒に映画を観てくれてありがとう。楽しい時間を過ごさせてもらったよ。

そして、急に変なことを言ってごめんね。南波ちゃんをびっくりさせるつもりはなかったんだ。

考える時間ももちろん必要だよね。

もしも南波ちゃんの心が決まったら、どんな内容でも気持ちを聞かせてほしい。急がせるつもりはないから、どうかゆっくり考えてね」

ついさっきまで隣にいた、低く柔らかく響く声が思い出される。送られてきたメッセージはもちろんただの文字列に過ぎないけれど、それが私の目を通って、心で噛み砕かれていくうちに、聖夜さんの優しい口調に変換される。

まだやり直せる。

聖夜さんは待っていてくれる。

どうか私を嫌わないで。

変わりたい、変わりたい。

心の奥底に封じ込められそうになっていた願いが一挙にあふれだしてきて、画面を見つめたままの私はさっきまでと変わったことにはっきりと気がついていた。

全身に力強い気持ちが流れていきわたって、混乱したままだった思考が整い静まっていく。

立ち上がって電気をつけた。

変わりたい。

視界に広がったのは小狭い、雑然とした私の部屋。いつも気力を萎えさせるこの風景から、もう別れを告げたいと思った。

床に広げられたままの服を掴んだ。