12月24日  再会

冬は寒い。から、あんまり外に出たくない。

できれば家にいてさ、ストーブにあたりながらこたつに入ってさ、何をするでもなくぬくぬく温まっていたいよね。

いつもはそう思う。だけど、今日だけは別。

だって今日は、クリスマス。家にこもっている方がもったいない。

薄暗くなっていく町のショーウィンドウは赤、緑、金の装飾とプレゼントの箱でいっぱいで、どこからかマライア・キャリーの”ALL I WANT FOR CHRISTMAS IS YOU”が流れてくる。寒そうに家路を急ぐ会社員に混ざって、のんびりとウィンドウショッピングを楽しむ女の子たちや、手を繋いで歩く男女がちらほら目に入った。

いいなあ、と思う。そういうのを見ると。

寒いからって手を繋いで、心はきっとときめきで温かくて、二人でイルミネーションの光る通りを歩いたりする。

そして、そういう相手がいるということ。

乙女チックな想像を膨らませる自分に、私は思わず笑った。でも瞬時に頭の中で自己弁護。

いいじゃない、空想するのは自由でしょ?

上着のポケットに入れていた携帯が振動した。取りだしてみると、友達の優木から。

そう。私が相手もいないのにクリスマスの夜に出歩いているのは、彼女に誘いを受けたからだ。

「ねえ、南波。明日の夜とか空いてない?」

「明日?」

それは昨日のバイト中の事。同じ学部、同じバイト先の原田優木は、ショートカットが似合う活発な女の子。それでいて自然なメイクも、アクセサリーも似合っていて、男子からも女子からも人気がある。

「うんうん! 実はね」

優木は目をきらきらさせながら、少し言葉を切った。溜めて溜めて……「デデン!」と自分で効果音をつけてから言う。

「クリスマスイヴの夜に、飲み会を開催しまーす!」

名付けて、クリぼっちを回避しよう! の会。

弾んだ声で付け加える。クリスマスに恋人がいないなんて……とか深刻に考えていなかった私は、「はあ」と間抜けな返事をしてしまった。優木は顔の前で両手を合わせる。

「お願い! ゆきっちが急に来れなくなったみたいでさあ。南波が来てくれると、男女の人数がちょうどぴったりになるんだよね」

それ、飲み会という名の合コンじゃない。

気が進んだわけでも、気乗りしなかったわけでもなかった。

私は積極的に飲み会とかに参加するクチじゃないから、たまには行ってみるのも楽しそう。そう思っただけ。

二つ返事で了承して、私は優木の誘いに乗ることになったのだった。

「あ! 南波!」

聞き慣れた声が耳に飛びこんでくる。通りに面した居酒屋の前で、優木が大きく手を振っていた。私は小走りに駆け寄る。どうやら私が最後にやってきた参加者みたいだ。

「ごめんね。私、もしかして遅刻?」

「ううん。大丈夫。さ、行こ!」

明るく引き戸を開けてくれる。店内はオレンジ色の間接照明がお洒落な和の雰囲気だった。通りすがる個室からはどこも笑い声が漏れ聞こえている。通路を進みながら、私は心によぎった一縷の不安を口に出さずにはいられなかった。

「ねえ、優木。ここまで来て言うことじゃないかもしれないけど」

「なになに?」

「私、人見知りじゃん? ……ちゃんと盛り上がれるかな」

あまり深く考えずに参加を決めちゃったけど、今になって心配になってくる。大丈夫かな、うまくやれるかな。

そんな私の不安を吹き飛ばすように、優木は私の背をばしばし叩く。

「難しく考えなくていいってば! みんないい人ばっかりだから!」

 

合コンが始まったのは、確か夜の七時ごろ。

寒空のもと携帯の画面を確かめた私は、疲れ切った顔でぼんやりと驚いていた。

ああ、まだ二時間しか経っていないんだ。

一次会はお開きになるところだった。会計も済んで、みんなは店の前でわいわいおしゃべりをしている。無料のメールアプリ「TALK」のIDを交換している人、二次会の相談をしている人、様々だ。

「ねえ、電話番号、交換しない?」

にこやかに話しかけてきたのは、すらりとして背の高い男の人。名前は確か……。何だっけ。

あまりにも緊張してしまった私は、みんなの自己紹介もほとんど記憶できず、自分の自己紹介もしどろもどろで、みんなが盛り上がる中一人曖昧に笑っていることしかできなかった。大声で冗談を言ったり、みんなを巻きこみながら盛り上がる人たちにあんまり慣れていなくて、精神力を使い切ってしまったの。

「ご、ごめんなさい。私、もう帰るから」

疲れた頭では何も考えられなくて、私はとにかくこの場を立ち去らなくちゃとだけ思っていた。疲れた。とにかく疲れた。一人になりたい。誰も話しかけないで。

その人は「番号を教えてくれるだけでも、駄目かな」と歩み寄ってくる。私は滑稽なほど必死に「ごめんなさい」を繰り返していた。

逃げるようにその場を立ち去る。

優木に一言言ってからの方が良かったかな。早く帰りたい。丁度いい時間の電車があるといいんだけど。とめどない考えが次々に浮かんでは消えていく。

駆け足で飛びこんだ電車は満席で、私は疲れて重い足に鞭打って立っていなければならなかった。

優先席で二十代ぐらいの男の人が携帯ゲームをやっている。その隣には黒い仕事鞄が座る。あの鞄を男の人の足元に置いてくれたなら、あそこに私が座れるのにな。でも男の人はイヤホンをして、周りの世界を見ていない。何よ、もっと人を気遣ってくれてもいいじゃない。そもそも優先席で携帯を使うとか。思考はどんどん後ろ向きになっていく。

最寄り駅までの三駅分があまりにも長く感じられた。改札を出たら、足を引きずるようにしてバス停へ向かう。一人暮らしをしているアパートまでは、大学からバスでニ十分、駅からは徒歩十五分。今日はあまりにも疲れているからバスを使う。

バスの中では何とか席を確保することができた。まあすぐに降りるんだけれどね。座席の下に感じる振動が大きくなってバスが発車し、アナウンスが流れはじめる。私はすぐに降車ボタンを押した。果てしなく思えるほど続くブレーキランプの赤を車窓から眺める。車についているモニタでテレビを見ている人がいる。有名ブランドの紙袋を抱えて助手席ではしゃぐ女の子がいる。隣でハンドルを握っているのは彼氏さんだろうか。

脳裏に優木の笑顔が浮かんだ。会話の中心になって盛り上がっていたし、お店を出てからも二、三人から電話番号を聞かれていたっけ。あの後、誰かと二次会に行ったりするのかな。優木は明るくてはきはきしてるし、私と違って可愛いし、男の人からも好かれるんだろうな、きっと。

通り過ぎる車。楽しそうに笑う男女の顔が見えた。思わずため息が出る。

私って駄目だなあ。

もっと活発で、ああいうところで盛り上がれて、人見知りなんかしなくて、ついでに周りを会話に巻き込むこともできて……。そういう才能が無いと、きっと素敵な人と出会うことはできないんだろうな。クリスマスを一緒に過ごせる恋人がいるのは、社交的で可愛い人の特権なんだ……。

どうして、私は私なんだろう。私じゃない人になりたい。

素敵な人と出会って、心がときめく恋をするような、そんな毎日を送ってみたい。

どうせ無理だろうけど。頭の中で声がする。私はその暗い響きに同意していた。

うん、そうだよね……私には無理。

私はきっとずっと、きらきらした恋に憧れているだけなんだ。叶うことはないきらきらに。

バスが停まる。ブザー音とともにドアが開いた。ICカードをタッチしてバスを降りる。背後でドアが閉まり、バスはすぐに遠ざかっていった。明かりを閉じこめた車体が離れていく。歩道はあまりにも暗かった。

重い足には嬉しいことに、私の暮らすアパートはバス停から数十メートルしか離れていない。私はのろのろと建物まで辿り着き、鉄製の階段を上がっていく。鍵を開けて家に入ると、薄暗い、散らかったままの部屋が私を迎えた。出しっぱなしの物、もの、モノ……。ぐちゃぐちゃのままの布団。洗い物の溜まったシンク。片付けたいとはいつも思ってるけど、もうどこから手を付けたらいいのか分からなくなってしまって、そんな自分がまた嫌になる。

肩にかけていた鞄を投げるように置いて、上着を脱ぐ。あ、ハンガーにかけないとシワがついちゃうかな。もうそんなのどうでもいいや。

ベッドに身を投げ出した。

冷たいシーツに顔を押し付けて「うーん」とうなる。いろんな考えがぐるぐる回って、まとまらない。頭を掻きむしって喚きたい。でも腕を動かすのさえ面倒だ。

ああ、もう!

すべてを放り出したくなってしまう。合コンの記憶も、脳裏に光る優木の笑顔も、駄目な自分も。なにもかも。

もう自分をやめたい。違う人間になりたいよ!

「……」

静けさに耳を澄ます。ぼんやりと「クリスマスだな」と思った。

ここには温かい料理も、輝くクリスマスツリーも、綺麗に包まれたプレゼントもない。

ううん。そういう「クリスマスらしいもの」がうちにあったことなんて、私の記憶にある限りない。

おばあちゃんはクリスマスを祝わなかった。

クリスマス・イヴは、私のお父さんとお母さんの命日だから。

私、お父さん、お母さん、おばあちゃんの四人で暮らしていた。二人は夜にケーキを受け取りに行こうと出かけて……事故に遭った。助からなった。

以来、私はおばあちゃんと二人で暮らしてきた。大学に入ってからは一人暮らしを始めたけれど。

クリスマスのお祝いは二人がいなくなった年を最後になくなった。一般的にはサンタクロースが来てプレゼントを置いていってくれるらしいのだけれど、うちには来たことがない。

いや、ある? 温かい何かが記憶の鐘を叩くけど、しっかりと掴むことができない。きっとサンタは来てないんだろう。

でも、テレビで見たことがある。サンタクロースはね、世界中の子どもたちからの手紙を読んで、欲しいものを用意して、プレゼントを配るんだって。名前と欲しいプレゼントが書かれた、長い長いリストを見下ろす白いひげのおじいさん。赤いソリに乗って、トナカイがソリを引いて、大きな白い袋を乗せて夜空を走る。袋にはとりどりのプレゼントがいっぱい。それが私が抱くサンタクロースのイメージだ。

サンタに願いを言ったことなんてなかったし、私はもう二十歳になるから子供じゃない。それでもやけくそだ。願い事をしたって損なことは起こらないだろう。

叶わないかもしれない。うん、きっと叶わないだろう。でも、願うだけ。

クリスマスのお願い。サンタクロース。この声が聞こえているなら。

私だって、素敵な誰かと一緒にクリスマスを過ごしてみたい。美味しい御馳走と、明るいツリーと、綺麗に包まれたプレゼントがあるような。

そしてもっと素敵な私に変わりたい。もう自分が嫌なんです。

変わりたい。変わりたい。回らない頭で考えているうちに、私は気を失うように眠りこんでしまった。

 

 

 

何か夢を見ていたような気がする。

突っ伏していた頭を持ち上げる。あれ、どうして目が覚めたんだろう。

冷たい風が吹きこんできて、私は目覚めの理由を知った。ベランダに続く窓が開いている。

いつの間に? 私、開けたっけ。おかしいな、戸締りは徹底しているつもりだったのに。

珍しく不気味さを感じずに、私はすっと立ち上がって窓に近づいた。窓枠に手をかけて少し身を乗りだして、外の様子を確かめる。振り返って見た時計は午前二時。街灯に照らされた家の明かりがほんのり白く明るくて、遠くには中心街のビルの明かりもちらほら見える。いつもの夜と変わらない風景だけど、時間が違うだけで、世界中が寝静まり息をひそめているような、もし私一人が大声で騒いだとしても破れないような静寂が満ちていた。

くしゃみが出る。部屋に戻って鼻をかんだ。気づいたら体がすごく冷えてる。早く窓を閉めて、化粧だけ落として、もう一回寝よう。

再び窓に近付いた時、私ははっとして空を見上げた。

聞こえたのだ。静かで透き通る、鈴の音。

なぜか心が締めつけられる。この感覚は、なつかしさ。でもどうして懐かしいだなんて思うの? 分からない。

そのうちに音は近づいてきて、真っ赤なソリが滑るように進んできた。ベランダに横づけして停まる。ソリを引くのは四頭のトナカイ、ソリの上には大きな白い袋。そしてトナカイの手綱を握るのは。

「今晩は。南波ちゃん」

サンタクロースは優しそうに目を細めて微笑んだ。

これが……この人が本当にサンタクロースだろうか。白いおひげのおじいさん、一般的に言(い)われている見た目はそれだけど、今目の前にいるのは。

どう見ても、二十代くらいのお兄さんだ。

深い深い夜を閉じこめた色の髪と目。白いふさ飾りのついた赤い帽子、そして温かそうな赤い服。膝下までの黒いブーツを履いている。服装は間違いなくサンタクロース……。なんだけど。

戸惑う私がいる一方で、目の前の人をサンタクロースだと受け止めている私もいた。いや「受け止めている」という言葉はちょっと違うかもしれない。言うなれば。

私はこの人がサンタクロースであることを知っていた。

どうして? 自問しても答えは出ないけれど、ふと思ったのはそれだ。

呆然とサンタクロースを眺めていた私は我に返る。少しだけ思考が冷静さを取り戻して、そこから好奇心が芽を出してくる。こんな経験、珍しいんじゃない? 私ってまさに今、すごく貴重な場面に居合わせてない?

私みたいな冴えない、ごく普通の平凡すぎる女の子が、本物のサンタクロースを前にしているなんて。

さっき寒さを感じたんだから、きっとこれは夢じゃない。

おずおずとベランダの柵に近付いた。身を乗りだしてソリを眺める。目の錯覚なんかじゃない。トナカイも、ソリも、すべてが宙に浮いて静止している。私は顔を上げて、数メートルと離れていないサンタクロースに問いかけていた。

「あの、どうして……?」

自分でも尋ねたいことがまとまっていなかった気がする。それでもサンタクロースは、私が聞きたかったことを汲みとってくれたみたいだ。

「どうして僕がここへ来たのか。それが気になっているんだね。答えは簡単だよ。南波ちゃんが呼んだからさ」

「私が!?」

素っ頓狂な声を上げてしまう。サンタクロースは「そうだよ」と穏やかに頷いた。

「クリスマスのお願いをしたでしょう。君の信じる力が強かったから、僕が呼び寄せられてきたんだ」

「信じる……力」

言われた言葉を繰り返す。サンタクロースは「こんなところで立ち話もなんだよね」と居住まいを正した。

「せっかく久しぶりに会ったんだし、もしよかったら続きは空の上で話さないかい?」

黒い手袋をはめた手が差し出される。飾る余裕も、そんな気もなくなっていた私は、素直にその手を取っていた。

体が重力から解き放たれて軽くなり、また重みを得る。気がつくと私はソリの上、サンタクロースの隣に腰かけていた。座席はクッションがいくつもおいてあって居心地が良いし、不思議なことにまったく寒さを感じない。サンタクロースが手綱を振って合図をした。トナカイたちはしゃんと首を上げて足を動かす。ソリはぐんぐんと高度を上げて、あっという間にちぎれ雲のすぐ下にまで辿り着いた。眼下に見えるのは明かりの灯る町並み。私はふとさっきの会話を思い出し、サンタクロースの整った横顔を見あげた。

今更ながらに思う。あ、綺麗な顔。

「さっき言っていた『信じる力』って、どういうことなの? それに『久しぶり』だとも」

手綱で合図。トナカイたちは歩調を緩めて、夜空をゆっくりと歩きはじめた。サンタクロースは目を輝かせて「それはね」と弾んだ声で話しだす。

良い意味で純粋で、まるで少年のようだと思った。

「世界の子どもたちはみんな持っている力なんだ。サンタ、妖精、小人……伝説と言われている生き物たち。見えない世界のことを信じていること。みんな生まれつき力を持つ。でも大きくなっていくにつれて、多くの人が無意識のうちにその力を手放していくんだ。だから子どもたちの世界は見え方を変える。サンタが渡しに来ていたプレゼントは両親が用意したもの、妖精や小人は絵本の中の生き物……といったふうにね。本当は誰もがサンタに会ったことがある。僕だってみんなのことを知っている。ただ忘れているだけでね」

だから、久しぶりだと言ったんだよ。サンタクロースはそう締めくくった。私はちょっと驚いてしまうような話と、低く柔らかく響くサンタクロースの声とを噛みしめて聞いていた。

重ねて問う。

「本当に世界を一人で、一晩で回っているの?」

「それは、残念だけど事実じゃないんだ。サンタクロースっていうのは妖精の種族の一つでね。サンタクロースは世界のあちこちにいて、世界を担当区画に分けて回るんだ。今は子どもの数が増えているから、世界中にサンタは二、三十万人くらいいるんじゃないかな。昔はもっと少なかった」

「そ、そんなに」

私はただただびっくりしていた。

そしてあくびをする。急に体が重くなって、逆らいがたい眠気がやってきた。大きすぎるあくびは隠せない。サンタクロースも気がついた。

「ああ、眠くなったったかな? もしかして昨日は遅かった? 少ししか寝ていないのかな」

思考がかすんでくる。

「ううん、そんなことないよ……」

私は緩慢に首を振る。

「ちゃんと五時間くらいは寝たもの……」

まぶたが落ちてくる。心地良い温かさに包まれて、私は寝入ってしまいそうだった。サンタクロースは優しく笑う。そっと大きな手で頭を撫でてくれた。

いつからかずっと張りつめていた心の糸が、一気に緩んでいくようだった。トナカイたちはソリがあまり揺れないよう気にかけながら、ゆっくりと高度を落としていく。

「家に着いたら起こしてあげるよ。それまでお休み」

そんな。こんなところで眠ったら風邪をひいてしまわない?

理性で目を覚まさせようとしたけれど、漂う柔らかい波動は私にはあまりに高すぎた。

懐かしい……温かい手は頭を撫で続けてくれていた。