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皇月ノエルはこんな人

光と音に敏感な「繊細さん」(HSP)。小説家をしています。
コチラの記事で自己紹介しています
↓こんな感じの作品を書いています。
すべて短編です↓
(作品タイトルをクリックすると、作品ページに飛びます)
「第17回星の砂賞」審査員奨励賞受賞作「紙の森」
――悲しみから、朝が芽生える。
「ハナビシソウ」
――知らなかった。先祖が僕を見守っているなんて。
「もがり」
――これだけは覚えておいてね。私が、ずっと君を好きだっていうこと。
星の彼方から君を愛す
ご一読いただけますと嬉しいです。

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虐待に「重い」「軽い」はあるのか問題

精神的虐待・毒親・トラウマについて
Image by Arek Socha from Pixabay

こんにちは。皇月ノエルです。

 

虐待の話題が出るたびに、無意識のうちに身構えてしまいます。

それは虐待が、「重い」「ひどい」と言う文脈で語られること、
そして身体的虐待の方が、精神的虐待よりも「ひどい」と見なされることが多いからかもしれません。

 

結論から言うと、どんな虐待やトラウマにも、他と比べて「重い」「軽い」なんて本質的にないと思います。

むしろ、あってたまるか!

トラウマの記憶を軽視する、虐待の経験がない人は、理由を見つけて「親に感謝すべき」というはびこった価値観にあなたを当てはめようとしてきます。

その価値観を自分も聞いたことがあるから、余計に間違っているのは自分の方で、自分が悪いんだという思いを強くしてしまうのです。

親に感謝しなければならない。

親に感謝できない自分はダメだ。

自分より、もっと苦しんでいる人がいる。

だから、私のこの苦しみは大したことないんだ……。

そんな風に考えて、自分の辛い気持ちを無視するように扱うのは、とても悲しいこと。誰も得をしません。

 

共感できない人が安直に「それでも親に感謝」とか「大したことない」「だれにでもある経験」などと言うのは二次被害が過ぎます。

そしてトラウマを抱える当人にしても、自分の辛さを軽視する必要はどこにもないと思うのです。

他の人が辛い思いをしているからって、本当にあなたの苦しみは軽減されるのでしょうか?

 

他の人は、他の人で辛い思いをしている。

あなたは、あなたにとって辛い思いをしている。

両者は共存して良いものだと思います。

誰かが我慢しなければならない理由なんてないし、我慢すべきはあなたではないから。

 

自戒も込めて、そう思えるようになりました。

 

Thank you for your reading!
I wish you all the best!

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