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「親を許さなければならない」言説に反抗してみる【理解と悟りは違っていい】

精神的虐待・毒親・トラウマについて
Image by Ri Butov from Pixabay

こんにちは。皇月ノエルです。

 

「親も完璧じゃない」が受け入れられなかった話

いろいろな言説に触れるようになって、一時期ものすごく目にした言葉がありました。

「親も人間なんだから」

「初めての子育てで、親も探り探りだったんだから」

「一生懸命だったんだから」

上のような言葉を聞くと、強い嫌悪感を覚えます。

最近、ようやくその理由が上手く言語化できるようになりました。

 

これらを口にした人たちが、言外に促しているようなニュアンス。

「親も完璧じゃないんだから、トラウマを植えつけた親を許そうね」

 

許しの義務感は暴力になる

スピリチュアルの誘導瞑想等では、ほとんど必ずと言って良いほど「怒りを手放す」「許せない相手を許す」プログラムがあったりします。

本で読んだことはあるけれど、いつもやらずに来ました。

「許す」ことを押し付けられているような感じがするからです。

まるで「本来許すべきなのに、許せないお前が悪い」とでも言われているかのような。

 

虐待やトラウマの辛さ、人生がつらくなる度合いは、当人にしか分からないものだと思います。

「そんな体験、誰にでもある」とか「でも、親に感謝しないと」とか、外野が親切を装ってかける言葉は暴力になりうるのです。

親に感謝することは、日本の法律で定められていません。人間の義務でもありません。

私は間違った人に共感を求めてしまい、見事にぶん殴られました。

打ち砕かれた自尊心を回復するのにかなりかかりました。

「親に感謝すべき」という無言の圧力が日本に広く流れていることは、暮らしていて感じ取れます。

仮にそれが正しいことだと受け取ってしまうと、感謝できない自分が「悪い」ことになってしまう。

ただでさえ低い自己肯定感に、ますます「お前はダメだ」と言い聞かせるような要素を追加する必要なんてどこにもありません。

 

私なりの解決策――言説と自分の感情の折り合いをつける

じゃあ、どうすれば良いのか?

かといって逆の立場に回り、「親に感謝するなんておかしいよ。一緒に恨んでいこうよ」と触れ回るのも、またちょっと違う。

人類の争いは、自分の意見を「正しい」と信じて疑わないところから発生することが多いからです。

ここは「みんなちがって、みんないい」の精神で折り合いをつけていきたいところ。

周りを攻撃して得た「ように見える」ものは、あんまり気持ちの良い肯定じゃなかったりするからです。

苦労は認める、でも許さないスタイル

私はこんな風に考えて、自分の気持ちと世間との折り合いをつけることにしました。

 

「世の中には、初めての子育てに右往左往しながら頑張っている親たちがいる。

その人たちは子どもを大切に思っている。

でもだからと言って、自分の親を許さなければいけないわけではない

 

世界中で子育てを頑張る「愛情深い両親」たちの努力と苦労は、受け入れる。

親は人間だから、具合が悪い時もあるし、カリカリしている時もある。

初めての子育てで、探り探りやっている途中。

子どもにとって何が最善かを考えて、一生懸命やっている。

それは素直に、すごいと思う。

 

……けれど、必ずしもすべての親がそうとは限らない。

少なくとも、自分の親はそうではなかった。

 

そんな風に考えるようにしています。

 

世間の「こうあるべき」に翻弄されそうな自分軸を「境界」という線で囲って、両者を共存させていくイメージ。

 

この捉え方はいつか変わるかもしれないし、変わらないかもしれません。

自分が不変である必要はないと思っているからです。

無理に変える必要もないと思います。

 

大事なのは、「親に感謝できない自分なんてダメだ」「親を許さなきゃいけないのに、許せない自分はダメだ」と思わず済むようにすることだから。

 

 

Thank you for your reading!
I wish you all the best!

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