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「自分が嫌なことは人にしない」をつきつめすぎた話

ブログ -BLOG-
Image by Kiên Trịnh from Pixabay

こんにちは。皇月ノエルです。

 

論語の一節。

己の欲せざる所は人に施すこと勿れ

にもあるように、「自分がされて嫌なことは、人にしない」という生き方の指針は、人類に普遍的に必要なものなのかもしれません。

 

今の私は、これをもう少しアレンジした指針
「自分がされて嫌なことは人にしない、自分がされて嬉しいことは人にする」を自分の行動の基準としているのですが、これと折り合いをつけるのには少し時間がかかりました。

 

最初に「自分がされて嫌なことは、人も嫌と感じることが多い」と知ったのは、確か小学3~4年生の頃。

当時の私は急に客観的視点を手に入れた頃で、「周りから自分がどう見えているか」にものすごく敏感でした。

そんな折にふと、先の気づき「自分がされて嫌なことは、人も嫌と感じることが多い」に至ったのです。

ある意味「人の立場に立って考える」ことの先駆け的な思考だったのかもしれません。

 

ところが、大変だったのはここから。

私の広がった自己意識と他者意識は、過剰に「人の視点に立つ」ことを可能にしてしまい、自分自身の首を絞める結果となってしまったのです。

例えば、「自分にとっては、これは嫌なことではない」という行動を実行しようとしている時。

急に私の思考が他者視点に立ち、こんなことを思いつきます。

「私は嫌じゃないけど、他の人は嫌だと感じるかもしれない」

一度思いついたらもう果てしなくて、「○○は嫌だと感じるかもしれない、△△は嫌だと感じるかもしれない……」と、人の多様な感じ方の前に立ちすくむことになったのです。

つまり、人の気持ちを考えていたら何もできない。

 

さらに私を混乱させたのは、クラスにいる人をからかって楽しむタイプの人たちでした。

「相手が嫌がるということが分かっているはずなのに、どうしてわざわざ嫌がらせに行くの?」

彼らの意図と思考がまったく理解できず、未知の害意にも似た脅威にさらされている錯覚に陥っていました。

害意に害意で応酬する方法しか知らないから、結局私も先生に注意を受けたりすることもあって。

突然見つけた他者視点とどう向き合えば良いのか、まったく分かっていませんでした。

 

私は毎日過去の失敗を自責し、「他の人は嫌と感じるかもしれない」の連鎖にイライラし、過敏な数か月間を過ごしました。

この頃に、失敗を過剰に引きずる特性が顕著になった気がします。

 

最初の過敏の波が落ち着き、さらに数年が経過していく中で、私の行動指針がゆるやかに変化していったのです。

確か、確立したのは高校生の頃だった気がします。

最初に述べた「自分がされて嫌なことは人にしない、自分がされて嬉しいことは人にする」に。

おそらく、急に世界に入ってきた他人軸に翻弄され、その後にヤワではあるけれど自分軸のようなものを見つけた……のではないでしょうか。

 

今は、「もし人から嫌だと言われたら、すみやかに謝る」ことを心がけています。

悪気があって何かをすることって少ないので。

 

「私は良かれと思ってやったんだけど、あなたにとっては嫌だったんだね、ごめんね」の精神です。

 

完璧じゃないかもしれないし、世の中にはもっとポジティブな捉え方があるのかもしれないけれど、これが今の私の最適解。

 

 

Thank you for your reading!
I wish you all the best!

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