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「定型発達の人」ってそもそも存在するの?【発達障害について考えたこと】

ブログ -BLOG-
Image by Luisella Planeta Leoni from Pixabay

こんにちは。皇月ノエルです。

 

おことわり

最初におことわりしておきたいのですが、私は発達障害の専門家でもなんでもありません。

ただ、自分の心と向き合う中で、心理学や発達障害を取り扱った書籍をいくつか読み、自分なりの考えを持つに至った次第です。

ここに書いていくのは私なりの考えであり、同意してくれる人がいれば嬉しいですが、全く違った考えを持つ人もいると思います。

また、いかなる差別の意図も持っていません。

 

「定型発達」って、なんだろう

本の中で、学習障害の症状(当事者がどういう状態に置かれているのか)を説明するくだりがありました。

そこで「学習障害」との違いを明らかにするニュアンスで、「定型発達」という言葉が使われていました。

言葉の意味するところは理解しているつもりです。

「学習障害」は、発達障害の一種に分類されており、発達障害とは脳の機能異常(不全)が原因だとされています。

つまり文脈内での「定型発達」とは、「脳が正常に発達しており、多動・学習障害などがみられないこと」を意味するのでしょう。

読み進めるうちに、私の中で疑問がふくらんでいきました。

そもそも、この世に完璧に「定型発達」した人っているんだろうか?

 

スペクトラムという考え方

発達障害の中には様々な名称・状態が含まれ、その中に「自閉症スペクトラム症」もあります。

以前は、その人の持つ特徴や特性によって病名を分けていたそうですが、現在は「自閉症スペクトラム症」と呼び、スペクトラムのように多様な状態が存在していると考えるようです。

プリズムに光を当てると虹色が現れることに例えられることが多いですね。(綺麗)

 

つまり発達障害には、単なる「重度・軽度」では分けきれない様々な段階があり、軽度の人の中にはあまり困りごとに悩まされることなく社会生活を送っている人もいるということ。

 

「定型発達の人」と「発達障害の人」は、明確に分けられないのではないでしょうか。

 

とすれば、一体どこからが定型発達なのでしょうか? 

どこからが発達障害、またはその傾向がある人なのでしょうか?

 

もしかしたら「定型発達」と「発達障害」なんてある種の幻想で、「定型発達の人」なんてどこにもいないのかもしれない……。

そんなことを考えたりもします。

 

なぜなら、人には個性があるからです。

強いこだわりを持つ、じっとしていることが苦手、人とコミュニケーションをとるのが苦手……。

発達障害の症状として取り上げられることの多い特性は、言い方を変えれば強烈な個性です。

また、障がい者の方が各々の得意分野で才能を発揮している、というニュースも見かけます。

 

もしかすると、現在の学校教育のやり方――みんなが前を向いて先生の話を聞く――の中にいるから、それらの特性が悪目立ちしているだけではないでしょうか?

誰にでも得意分野があり、苦手なことがあります。

それがたまたま算数だったり、じっと話を聞くことだったのでは。

そういう見方もできるのでは。

 

学習障害を持つ子どもへの支援・指導の提案を読んでいると、「一人ひとりのニーズに合わせて」という表現がよく登場します。

今は個別指導がさも丁寧で特別な方法のように語られていますが、本当は少人数・個別指導こそが、すべての子どもたちにとって有効な方法ではないでしょうか。

仮に個別指導がどこででも当たり前のことになれば、物の見え方がずいぶん変わるのではないかと思います。

 

授業中に立ち歩きが多い子は、体を動かしながら覚えるのが得意になるかもしれない。

人とコミュニケーションを取るのが苦手な子は、一人でじっくり考える子、とみなされるかもしれない。

 

障害が「みんなと違う」「教室になじめない」ではなく、みんなが持つ個性のひとつになる。

そんな可能性も秘めているんじゃないかな、と考えたりしました。

 

認識が変われば、受容につながる

難しいのですが、私は発達障害の存在を否定したいわけではありません。

科学的に研究され、脳の発達が特異だとか、いろいろ分かってきていることがあることも知っています。

けれど日常生活の中で、「脳の発達が特殊だから~」という話をする機会はほとんどないはず。

むしろ求められるのは、「自分にはこういう特性があるから、これは苦手で、これが得意だよ」という生き方、対処方法だと思います。

 

科学的研究は大事。

でも社会の中ですんなりと合理的配慮ができるように、周りの理解が進むこと、「配慮が必要なだけで、異常者でもとっつきづらい人間でもない」とみなされることも、同じくらい大事ではないでしょうか。

その足掛かりとして、障がいの有無を個性のひとつと認識していくことが、意識改革の面で効果的ではないかと感じたのです。

 

考えるきっかけになった本

ちなみに今回、私が上のことを考えるきっかけをくれた本はこちら。

日本ではまだ知られ始めたばかりのLD(学習障害)ですが、ディスレクシアと戦っている人は多いそう。

ディスレクシアとは何なのか、何が大変なのかを多少なりとも理解することが、生きやすさにつながるのではないかと思います。

 

 

Thank you for your reading!
I wish you all the best!

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