人生初のフランス映画「アメリ」
こんにちは。スピリチュアル作家の皇月ノエルです。
初めて、フランス語の映画を観ました。
「アメリ」です。
きっかけになったのは、昔読んだ本。
自分らしい生き方への教訓として、著者さんが「アメリ」のシーンを取り上げていたのです。
アメリの「スパイスの袋に手を突っ込むのが好き」とか「水切りで気晴らし」とか、独特な個性を魅力に感じて、いつか観てみたいと思ってきました。
「いつか」「いつか」と思っているだけでは、もう一歩。
行動あるのみ! ということで、いよいよレンタル屋さんで借りてきて視聴。
思った以上に心豊かにさせられる作品でしたので、私なりの感想をまとめたいと思いました。
前述の通り、私は初めてフランス映画を観た人間です。
感想は詳しい人には及ばないと思いますし、文化や歴史についての知識が不十分で、味わい切れていない演出もあると思います。
感想 パート1 作品の外郭について
主演キャストがイケメン&美女!
主役のアメリを演じるオドレイ・トトゥ、お相手のニノを演じるマチュー・クラヴィッツ、2人とも素敵!
本の影響で、「フランス女性にボブヘアが多い」ことは知っていましたが、実際にボブヘアの美女を見るとドキドキします。
私もボブが似合ったら良いのに(^_^)
さらにマチューさんは、私が思う「フランスイケメン」そのもの!
あ、ちょっと「塔の上のラプンツェル」のユージーンに似ているかも?
イケメン発掘のために観たわけではないのですが、思わぬ眼福でした。
個性が表れる「色」
アメリがいろんなところに侵入するので (大丈夫なの?) 、作中にはいろいろな人のアパルトマンが登場します。
特に印象的なのが、それぞれの部屋の色ではないでしょうか?
アメリの部屋――赤
アメリの部屋は、キッチンの色からテーブルと椅子、寝室の壁まで、鮮やかな赤をメインに配したインテリアになっています。
赤には「愛・恋・勇気・自己主張」等の意味があるそう。
アメリが求めているもの・必要なものを象徴しているように思えます。
同時に、彼女が必要としているものは、彼女がすでに持っているものでもあるのでは?
人間は求める時には、すでに与えられているのであり、思いつくことは実現させることができるといわれています。
つまり、アメリが愛情や人とのつながりを求めている時点で、それを手に入れる素質を彼女は持っている。
人はないものにばかり目を向けがちだけれど、心の中には欲しい物をすでに持っているんだよ、というメッセージかもしれません。
コリニョンの部屋――深い緑
コリニョンは、アメリがよく行く青果店の店主。
アメリはリュシアンへの嫌がらせを目撃したことで、逆にコリニョンにいたずらをしかけます。
彼の部屋に入ると、そこは深い緑色を基調とした空間。
同じアパートに住んでいるのに、アメリの部屋とはまるで違う雰囲気です。
緑色には「エコロジー・平和」というポジティブな意味に加え、「未熟・保守的」という意味もあるのだとか。
野菜を丁寧に扱うリュシアンの手つきは、お客に良い印象すら与えるかもしれません。
それを「青果店の店員はこうあるべき」「自分の価値観に合わないリュシアンは変人だ」と決めつけるコリニョンは、まさに保守的な考えの持ち主です。
感想 パート2 個人的に感じたこと
共通点――親の「呪い」
物語は、アメリの子ども時代から始まります。
この時に両親の人柄が語られるわけですが、これがどうも癖が強い。
ほとんど娘と触れ合わない父親と、神経質な母親。
アメリは現代でいう愛着障害、ある種のトラウマを持ち合わせているのではないでしょうか?
幼い頃の経験が、大人になってからの人間関係構築に影響を及ぼすと、私は信じています。
アメリは親の勘違いのせいで学校に行けず、友達もいないまま成長したようです。
つまり、両親の価値観にどっぷりつかって育った。
親の良い影響はもちろん、「呪い」と呼ばれる悪い影響もたっぷり受けているわけです。
なんだか深く共感してしまいました。
私も空想好きだからです。
- 画面の向こうで流れるニュースが、自分にものすごく関係のあることを話している気がする
- 待っている人が来ない時、あれこれとありえないほど壮大な空想をしてしまう (突飛だと自覚しているのに!)
というのは、私も持ち合わせている特性です。
私は想像力の豊かさを活かす方法を模索してはいますが、常にこの想像力を羽ばたかせていると、ものすごく疲れる。
思考が悪い方へ転がると、どんどん悪いことを考え続けてしまうからです。
アメリが喫茶店でニノを待つときの妄想には、とても覚えがあります。
というか、ああいうことを考えるのって自分だけじゃないんだ。
共感と同時に、安心もさせられました。
他人の人生を変えるのは楽。でも自分のは……
アメリは小さな親切で、何人ものひとを救っています。
- 缶の思い出を見つけたドミニク・ブルトドー
- 思いをすれ違わせていたジョセフとジョルジェット
- 人生の楽しみを見つけられない実父
人付き合いが苦手とはいえ、彼女は無愛想な人間ではありません。
むしろにこやかに町を歩き、ホームレスに小銭を渡し、道路を渡るのを助けます。
彼女の小さな行動が、周りの人の人生に変化を起こしたのです。
反面、アメリは彼女自身の人生には硬直した態度を見せています。
いや、というよりね……。私は自分の体験から言います。
硬直しているのではありません。
硬直してしまうのです。
空想にふけるあまり、自分の周りで起きることを自然と流れていくもののように感じてしまいます。
自分はいるようでいない存在。
だから、自分の積極的な行動により、自分の人生を動かそうとする時、途端にどうして良いか分からなくなってしまうのです。
頭の中であれこれ可能性を考えるのに忙しくて、実際に体が動くまでに時間がかかる。
結果、目の前のチャンス (アメリの場合はニノ) が歩き去ってしまう。
物理的に行動しなければ、現実は動かないのに……です。
理屈は分かっています。
でも、動けない時がある。
それは勇気がないこととも、怯えていることとも違うのです。
背中を押す一言
最後にアメリの背中を押したのは、「ガラス男」のレイモンでした。
彼がビデオに吹き込んだメッセージはアメリだけでなく、この映画を観たすべての人に向けた、ポジティブで大切なメッセージです。
レイモンはアメリとの交流の中で、アメリの求めていることを掴んだのでしょう。
そして、彼女が思い切って踏み出せないことも。
身近にレイモンのような、本質を掴んで助言してくれる人がいればなんと心強いことでしょうか。
人によって交友関係に幅があり、必ずこのような友人が得られるとは限りません。
でも本当に大切なのは、こういう友人がいるかどうかではないと思います。
メッセージを受けとり、背中を押される覚悟を持っていることです。
誰かの背中を押すことはできます。
けれど背中を押した相手が実際に行動するかどうかは、押した側に決められることではありません。
レイモンの一言はきっかけでしかなく、最後の決断を下したのはアメリ自身。
アメリはレイモンに背中を押されることを受け容れて、自分の感情に正直になる決意を固めたのだと思います。
アメリは慎重で空想好き。ニノになかなか顔を見せられませんでした。
しかしその心の中には愛情への渇望があり、現実に踏み出す勇気も持ち合わせていた。
勇気を出すまでには時間がかかったけれど、手遅れになる前に決断することができる。
映画の中では、アメリがパートナーとの幸せを見つけたように見えます。
それも事実。
同時にアメリは、自分の中にもともとあった愛情や強さをも見つけたのだと思いました。
Thank you for your reading!
I wish you all the best!
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