こんにちは。スピリチュアル作家の皇月ノエルです。
「DEATH NOTE」読了しました!
先日、「遅ればせながら『DEATH NOTE』にハマってます」という記事を書きました。


これまではパチンコ屋に行くたび読み進めていたのですが、クライマックスを前にして我慢できなくなり。
レンタル屋さんで文庫版コミックスをレンタルし、最後までしっかりと読み切りました!
ラストまで読まないと生まれない感想もあるというもの。
改めて、『DEATH NOTE』という作品について感じたことをまとめておきたいと思いました。
また、以下はがっつりネタバレを含みますので、苦手な方はご注意ください。
「DEATH NOTE」を読んでの感想たち
短編まで楽しめて大満足!
「次にいつパチンコ屋に行くか分からない……。でもラストどうなるのか気になる!」
勢いに任せてレンタル屋に向かうと、そこには「DEATH NOTE」の文庫版コミックが並んでいました。
私はこれまで単行本(?)の方で読み進めてきたのですが……。ないものはしょうがない。
自分が読んだのはどこまでだったか思い出しながら、最後の3冊(文庫版5~7巻)をレンタルして読みました。
実は5巻の内容はすでに読了していたのですが、わざわざ借りたことには理由があります。
Lとワイミーさんの出会いを取り上げた、短編が載っていたからです。
L推しの私が、これを知ってしまって読まずにいるなんてできない。
そこでこれも借りて、じっくり読むことにしました。
Lとワイミーさん (ワタリ) が強い信頼を抱きあっていることは雰囲気から察していましたが、その理由までは知りませんでした。
この短編を読み、2人の過去を垣間見たことで、その理由を知ることができたのは美味しい収穫。
ますますLへの尊敬が深まりました。
苦い勝利
Once dead, they can never come back to life.
(死んだ者は、生き返らない。)
最終話の最後にあるフレーズの通り、死は覆りません。
非常に現実的な「DEATH NOTE」の物語を読み終えて、私はこれを痛感する虚しさのようなものを覚えました。
世界的に見れば、キラによる殺人が終わり、世界は平和に。
「L」の立場はニアに継がれ、世界の難事件を解決し続けています。
世界は「普通」に戻ったように見えます。
でも本当は、戻ってなどいない。
一代目のLは死んだままだからです。
Lの能力はバックアップがとれても、それはLの代わり、代理。
完璧に本人になることはできません。(フル・フロンタルがシャア本人ではなかったように)
どうやってもLは戻ってこない。
ニアとメロが果たせたのは、キラへのかたき討ちだけ。
そう思うと、「キラに勝った」という事実は輝かしいだけのものではなくなります。
その思い通りにいかない感じ、すべてがすっきり解決しただけではない感じは、物語の中で初めて味わうものでした。
メロの良さを再認識
「DEATH NOTE好き。推しはLかな」的なツイートをしたら、
「メロもいいぞ」
的なお返事をしてくれた方がいました。
ニアとメロ。Lの後継者となるべく育てられたのでしょうから、メロも相当に頭が良いはずです。
ただし雰囲気がL似ているので、私はニアの方を応援していました。
メロは暴力的で感情的で、横暴なイメージがあったのです。
けれど「メロもいいぞ」の一言をいただいたことで、メロの良いとこ探しが始まりました。
ちょうどそのタイミングで、メロが高田を誘拐する場面に接し。
バイク、ヘルメット越しのお顔がイケメンで、「あれ、今までカッコよさに気づかなかっただけかも……?」
さらに観る機会に恵まれたアニメで「あれ、いい声かも……?」と思えるようになり。
すっかりメロのことも応援する立場になりました(笑)。単純だぁ。
ちなみにメロは板チョコをかじっている場面が目立ち、同じ板チョコ好きとしてそこにはとっても共感します(^_^)
利己的な人間らしさ――ライトの死
ギャップのある最期
主人公でキラでもある夜神月 (以下ライト) も、とても魅力的なキャラクターだと思っています。
容姿端麗、頭脳明晰。
おまけにテニスでは運動神経の良さも披露していました。
その小ぎれいな感じとか、人間離れした綺麗めな振る舞いが目立っていたので、ライトの最期はあまりに対極的で印象に残ります。
あの落差が、人間の利己心を表しているようで実に切なく痛快です。
これまで人を殺してきたくせに、自分は死にたくない。
ライトの場合は特殊ですが、「自分は死にたくない、自分だけは死なない」という妙な自信は、ほとんどすべての人間が持っているものではないでしょうか。
それを極端すぎるほど表出して死んだライトは、ある意味いちばん人間らしかったのかもしれません。
究極のサイコパス・夜神月
別サイトの考察を漁っていると、「ライトはサイコパス的要素のすべてを兼ね備えている!」という心理学的観点の記事を発見しました。
取り上げられていたのは、ナルシスト・マキャベリスト・サイコパスの3拍子。
私は心理学系の本をかじったりしているので、用語には親しみがありました。
今回「DEATH NOTE」を読む機会に恵まれたことで、上の特性の実例を学べたと思っています。
「ナルシストとはどういう性格特性か」という定義を知っていることと、「実際のナルシストと関わる・見かける」こととの間には、理論と実践のような違いがあるのではないでしょうか。
私は本を読み、サイコパス的な性格の特性について定義を知っていました。
でも、そういう特性を持った人が現実に存在すると、どういう影響をもたらすのか? どういう行動に出るのか?
そこまで体感的に知ることは、なかなか難しいものがあります。
ライトがそのような性格を持ち合わせていることで、それを疑似体験・のぞき見することができたのです。
おまけに「DEATH NOTE」の進行手法として、ライトの思考回路が精緻に描かれています。
サイコパスの頭の良さ、数手先を読んで行動する切れすぎた頭の中身を垣間見ることができ、大いに参考になりました。
考察の余地が、作品を放させない
原作である漫画は、考察の余地を残して終わります。
(映画はまだ観てないので勘定に入れていません)
その考察の余地が余韻となり、漫画を読み終わってからも作品のことを考えてしまいます。
私も見事に術中にはまり、メルカリでグッズを購入検討するなど+αの「DEATH NOTE体験」を求めています(笑)。
リアルタイムでハマれなかったのは惜しいけど、頭脳戦のすごさを理解できる今、この作品に出会えて良かった。
そう思うと、ちょっと清々しい気分になったりもするのでした。
Thank you for your reading!
I wish you all the best!
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