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【感想】遠くて近い話――『虐殺器官』

本の話
Image by Fabien Huck from Pixabay

こんにちは。スピリチュアル作家の皇月ノエルです。

 

先日、めちゃめちゃ面白い本に出合いました。

伊藤計劃先生の著書「虐殺器官」です。

「すごい!」と思うところがいくつもあったので、見出し分けして1つひとつ語っていけたらなと思います。

 

すごい1  作者さんの知識量がすごい!

作品の序盤から感じていたことですが、作者さんの知識量がすごいのです。

特殊部隊が4人組で動く理由、近未来的な設定の抜け目なさ、物語の展開に無駄がないこと。

全体を通して「すごいなー」と思って読み進めていたら、巻末に決め手の一発みたいな衝撃的な文章が載っていました。

ハヤカワSF文庫から出ている「虐殺器官 新版」の巻末には、伊藤計劃先生と円城塔先生の対談が載っています。
以下はそこの一節です。

伊藤  ありがとうございます。『虐殺器官』はほとんど資料調べをしないで書いたんですが、……。

思わず心の中で「は?」と叫んでしまいました。

もちろん、尊敬の意味を込めた「は?」です。

人によって「ほとんど」の度合いは違いますが、それにしてもこの知識量の多さはなんだろう。

もともとたくさんの知識が蓄積されていなければ、ちょっとの調査でこれほどの大作が書けるものか。

伊藤先生……。すごすぎる。

ただただびっくりすると同時に、尊敬の念をさらに深めた瞬間でした。

 

すごい2  芸術作品のガイドとして

知識量の話とも関連するのですが、『虐殺器官』にはストーリーを追う他にも楽しみ方があると思います。

ずばり、芸術ガイドとしての使い方です。

作中には、映画、小説、芸術家の名前がたくさんでてきます。

ヘミングウェイ
ハンター・トンプソン
カート・コバ―ン
「エンゼル・ハート」
「プライベート・ライアン」の冒頭十五分。
カフカの「変身」「城」「アメリカ」
J・G・バラード『太陽の帝国』などなど。

特にカフカの登場率は数多く、「変身」の序文は本文中に引用もされています。

それらも作品の重要なキーワードの1つであり、決して蛇足ではないのです。

「虐殺器官」の舞台は近未来ですが、これら実在の作品名が登場することで、作品と現在の時間軸の繋がりを感じる効果もあると思います。

 

すごい3  場面転換のスマートさ

これを「すごい」と感じたのは、私の個人的な感性に大きく依存するものかもしれません。

私は場面転換がとにかく苦手なのです。

どこで区切って良いか分からない。

だからこそ、場面転換の巧みな人の作品を読むと、そこに目がいきます。

まるで一本の映画を観ているようで、場面が区切れたり飛んだりしても、すぐに続きを追いたくなる。

区切れるたびに引き込まれる。なんてすごい文章を書く人なんでしょうか。

 

すごい4  主人公の一人称が持つ効果

『虐殺器官』の主人公は、クラヴィス・シェパードという男性です。

(新版の表紙に載っているクラヴィスがイケメンで、個人的にとても気に入っています。)

本を開いてすぐ気付くのですが、作品はクラヴィスの一人称で描かれています。

ここで、印象的なことが1つ。

クラヴィスの一人称が「ぼく」なのです。

「俺」ではなく、「僕」でもなく、「ぼく」。

これが、作品の中でとても重要なポイントの1つだと思っています。

「俺」という一人称を使うと、主人公はなんだか屈強そうだぞ、という印象を与えます。男らしさとでもいうのでしょうか。

たいして「ぼく」には、そこまでの力強さはありません。

やわらかな平仮名に、繊細さ柔らかいゆえの危うさみたいなものさえ感じます。

彼が戦場に飛び出していくたびに、「大丈夫かな」と心配になってしまうのです。

彼らは軍人です。クラヴィスは自らの意思で軍隊に入ったと、本文中にも書かれています。

だから、彼が人を大勢殺したせいで動揺したりする描写も余地もありません。

それでも、心配してしまいます。

「俺」と自称するほど頑強ではない。
人間らしい心も持ったままでいて、少年のような「ぼく」を持ち続けている。

それはクラヴィスのキャラクターを規定する、重要な一要素なのではないでしょうか。

 

すごい5  タイトルと本文のつながり

何度も書いている通り、この作品のタイトルは「虐殺器官」です。

そしてあらすじの通り、作中の世界では大量虐殺が発生しています。

ところが、作中に「虐殺器官」というタイトルそのままの言葉が登場するのは、たったの1回だけなのです。

にも関わらず、読んでいる間ずっと「虐殺器官」というタイトルが頭の片隅にちらついています。

タイトルがこれ以上ないくらい巧みな名付けなのです。

 

 

 

 

【ネタバレ注意】読後感で気づく苦々しさ

最後に多少のネタバレを含みますが、読後感についても書いておきたいと思います。

実は本文を最後まで読んだ時、私はクラヴィスと同じように「ほっ」としました。

世界から虐殺がなくなったわけではない。

むしろ、それは彼のすぐ近くで起きている。

けれどなぜか、心が「スッ」としたのです。

直後、私はその感じ方を打ち消して否定しようとしました。

この物語の終わり方を、そうやってポジティブなものとして受け取るべきではないと思ったからです。

しかし巻末の対談を読んで、私はそのイメージを打ち捨てることとなりました。

円城 僕が『虐殺器官』を読んで感じたのは、爽快感なんです。わりと、重苦しい雰囲気というふうにとらえる人が多いみらいなんですけど、いやいや、そうじゃなくて……(中略)

伊藤 そうですね。僕も爽快感を目指したんですけど(笑)。

すっきりする感じとか、安堵とか、感じて良かったのです。

だって作者さんが、そう思うように仕向けたということになるのですから。

 

ここで私は、自分の感じ方が社会大衆によって規定されていることに気づきました。

「こういうモチーフのものを、こう感じてはいけない」
「これは、こう見ないといけない」

「大多数の人がそうしているから」

そんな言説が、無意識の中に入り込んでいたんじゃないか? と思ったからです。

戦争をモチーフにした話が、世界に争いの残ったまま完結したら、それはバッドエンドなのではないか。そう感じなければならないのではないか。

本来自由なはずの感じ方さえ、そうやって疑いとともに受け容れていたのです。

文章を書く人間ならむしろ、そういう規定からも自由になる必要があるな、と気づかされました。

 

 

Thank you for your reading!
I wish you all the best!

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