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【回想】本心からの遊び心

顎とセンスがズレている
Image by Jill Wellington from Pixabay

子どもが外界から一切の影響を受けないなんてありえない。

小さい頃、私は「期待される通り」に遊んでいたように思う。

その「期待」とは、何も親からだけの期待ではない。

テレビやアニメの中で活き活きと過ごす子どもたち。

彼らが何をし、どんなことで楽しんでいるかを観察していたのだ。

親を追い越して、長い階段を駆け上がる。
まっすぐ歩くなかでも飛んだり跳ねたりする。
周りのいろいろなものをじっくり見る。

そうやって過ごす子どもたちを見て、「こういう振る舞いが期待されているのかな」と思いこむようになってしまったらしい。

もちろん、遊んでいる間は楽しかったし、義務感だけで動いていたわけではない。

けれども心のどこかには「子どもはこういうもの」という無意識のさらに根底に流れるような思いこみがあって、それに支配されていたような気がする。

 

もしかするとそれは、私の中だけにあるものではないのかもしれない。

誰もが「子どもはこういうもの」「成長過程はこう振る舞うことが多い」「大人って、こうでしょ」という思い込みを持って生きている。

だから、魂が成熟した子どもが大人びたことを言うとびっくりしたり、「子どもがそんな悟ったようなことを言うはずがない」と否定したくなったりするのではないか。

人は自分の持つイメージを守りたいから、目の前で起こっている「自分のイメージに合わない現実」の方を否定する。

そうやって自分たちの狭い世界を守りながら、みんながなんとか生きている。

 

近いところに戻ってきて、最近の私の話をしよう。

無意識の「子どものイメージ」に縛られていたような私は、最近になって純粋な好奇心に従うことを覚えるようになった。

年数的には「大人」になってしまったかもしれないけれど、遊び心――何にも規定されない、本当に心の底から湧いてくる遊び心――を獲得できたような気がする。

道端に落ちていた桜の花を拾って帰ったり、「楽しそうだから」階段を駆け上がったり、砂浜で貝殻を拾ったり。

それは純粋に楽しそうだからやるのであって、子どもらしいイメージに縛られてゆえの行動ではない。

むしろ「大人らしい大人」であれば、もうそんな遊びは卒業しているのかもしれない。
言うなれば私は間だ。

でも一切遊ばないのが大人の規定なのであれば、それはつまらないと思う。

その点では、ずっと遊び心を忘れない「子ども」でいたい。

 

 

Thank you for your reading!
I wish you all the best!

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