思考と理性の関係とは?
シリウスのミカエル:
まずは僕たちの例からいこうか。
僕たちは至高と直感の2択の中にはいない。
確かに僕たちがやっている情報処理のやりかた(刺激の受け取り方)を地球的(三次元的)に表現すると、下のようになる。
自分の感性に引っかかったものを感じ取る
↓
心がそれを採用するか決める
というように、感性と心が主導なんだ。
対して地球では、下のようであることが多い。
自分の感性に引っかかったものを感じ取る
↓
それがづどういう意味を持つものか、固定観念、これまでの自分の生き方、社会の「常識」とされるものに照らし合わせて考える
この違いがあるから、「心の声を聞きなさい」と言われることが多いんだ。
傾いたバランスを、元に戻すためのメッセージだね。
でも、本当は僕たちがやっているのはこれだけじゃない。
あえて表現するとするならば、もっとたくさんの感覚につながるネットワークのようなものが伸びていて、感性に触れた1つひとつの物事を色々な角度から感じ取っている感じ、かな。
ありとあらゆる角度から、同時に1つのものを見ているイメージに近いかもしれない。
円柱を真上から見ると丸に見えるし、真横から見ると長方形っぽく見えるよね。
僕らの見え方で円柱を見るとしたら、円にも長方形にも、円柱にも見える感じだ。
理性と心の観点だけだと、自分の中だけで完結している。
僕らはもっと外に広がった感じ方をしていると言えるんじゃないかな。
感覚をそこまで開いて疲れないのか
シリウスのミカエル:
全然。
むしろ、君たちのやり方の方が疲れるように見えるよ。
本当のところは分からないのに、受け取った情報をあれこれ推測しながら渡っていかないといけないと思ってる。
疲れているように見える人が、本当に疲れているのか。
「大丈夫」と言った人は、明るく振る舞っているだけなのか?
目で分かる情報を鵜呑みにしないで、「本音が隠されているんじゃないか」と考えるだろう。
そして正解を確かめるすべがなくても、あれこれ推測してしまう。
共感力はみんなに自然と備わっているものだけど、今の世の中には物理・心理的な壁が多すぎて、共感力を上手く活用したり、正しい情報を得たりすることが難しくなっている。
本来の共感力は、情報を受けとるためのセンサーなんだよ。
思考が先行して、頭がいっぱいになった時は
シリウスのミカエル:
頭頂部に掃除機みたいな、吸引してくれるものを思い浮かべる。
そして、思考に上ってくるものすべてを吸い取ってもらうイメージをするんだ。
揺らいだ自分のエネルギーを整えるには、宇宙の星空をイメージすること。
宇宙空間の中から、その時の自分に必要な色のエネルギーが補充される。
本当は情報過多になっている時って、何かが多いんじゃなくて自分のエネルギーのどこかが欠けているんだ。
「へこんでいる」と表現するのもいいね。
だからバランスが悪くなって、どこかがおかしくなる。
私:エネルギー過多になる人はいないの?
シリウスのミカエル:
エネルギーは流れるものだ。
電流と同じように、流せる量の最大値は決まっている。
エネルギー過多になっている人は、溜まっているというよりも流れが悪い人。
水が淀むと腐るのと一緒で、エネルギーも溜めようとするより流しておく方が良い。
溜めたり操作したりするのはある一定の時だけで、常にすべてをコントロールしようと考えるべきものではないよ。
エネルギー不足な人へ【図説あり】
シリウスのミカエル:
現代では、エネルギー不足な人の方が多いんじゃないかな。
エネルギーを外に向かって流し過ぎて、自分を健全に保っておくための分まで消費している。
こういう人は睡眠が足りていないことが多い。
睡眠は分かりやすいエネルギー充電の方法だ。
慢性的にエネルギー不足の人は、まず流せるエネルギーの最大値が大きく減っている。
たっぷり寝ることは、エネルギー量の最大値を押し上げる効果があるんだ。
いくら楽しいと思うことをたくさんしても、最大値が少なければあまり意味がない。
小さいビンにいっぱいのお菓子を全部詰めようとしているのと一緒だからね。すぐにあふれてしまう。
Thank you for your reading!
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