「人間失格」4度目の正直

小学生の時、文豪の本を読もうと思って「人間失格」を手に取った。親の本棚にあったものだった。

文章が難しくて挫折した。

 

中学生の時、再び挑戦しようとして1ページ目で挫折した。
当時の私には文体が暗すぎるように感じられ、無理して読了しようものなら自殺しそうだったからである。

 

高校生の頃、電子辞書に「人間失格」が入っており、暇つぶしに読もうと三度挑戦。そしてまた挫折した。
やっぱり気分が暗くなる話に思えたし、太宰治は自分とは縁遠い価値観の人だと感じた。

 

22歳になって、小説の勉強をしようと「人間失格」を買った。
初めて文豪の書籍を自分で買った。使ったお金を無駄にしたくはない、今度こそ真面目に読もうと、まずは一緒に買った「斜陽」を読了した。

 

太宰さん、いけそうだなと思った。

 

そうやって読み始めた4度目の「人間失格」は、24時間以内に読了するほど熱心に、張り付くようにして読んだ。

そうして、「太宰さんは自分とは縁遠い人だ」という以前の勝手な印象をあっさりと捨てることになった。

 

むしろ「人間失格」には共感できるところがありすぎるほどあって、私は自分にびっくり……というよりも、太宰さんがもっと後の時代に生まれていれば良かったのに、と勝手な同情めいたものを感じた。

 

もし今の時代に生まれていたら、普段考えていることをもっと気軽に外に出せる空気がある。大勢の人が共感してくれたかもしれない。あそこまで悩まなかったかもしれない。

 

でも同時に、時代を違えていようが、太宰さんはああいう考え方をして、内向的だったいかもしれないなとも考える。

完全に一緒くたにするのは太宰さんが偉大に見えて気が引けるけれど、私だってなんでもかんでもSNSにアップするわけじゃないし、他人に相談すれば案外あっさりと解決するようなことを、一人で抱えて悩んでしまったりだってする。

それが創作の助けになっているのか邪魔になっているのか分からない。

でも、人のふるまいを見て、人の裏表を見て、「人って分からないな」「人って恐いな」とかあれこれ考えてしまったり、自分をとりつくろったりするのは、自分に似すぎていてものすごい共感を呼び起こされた。

読み終えたばかりでまだ少しびっくりが残っている。

 

私にも考えていること、怒りの感情を乗せて書いておきたいことは多々あれど、太宰さんほど真に迫るような文体を持ち合わせていないので、人にもその皮膚が擦れていくような鋭さを伝えられるかどうか、分からない。

 

それから「人間失格」は太宰さんが死の間際に書いた作品なので、「自分は後に残らない」覚悟で書いたからこそあんなに赤裸々で心の奥深くまで掘り下げることができたのかな、恥ずかしさとか捨てられたんだろうなとも思う。

それはまだ私にはできないこと。

 

 

でも「それ」ができるようになるころ、あまりに年月が経ち過ぎて、私の今感じている怒りとか、苛立ちとかは、全部「懐かしい」ことになっているのかもしれない。それだと真に迫れないので勿体ないとも思う。

でも今は書ける気がしないのだからしょうがない。

いつか、おんなじくらいすごいことができるように頑張ろう。

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