人の目を借りる【本を読むことの意味】

教科書は、必要なことを学ぶためにある。

自己啓発本は、もっと良い自分の可能性に気づくためにある。

ビジネス書は、もっと円滑に仕事をするために読む。

じゃあ、小説は? 娯楽本は? ライトノベルは?

 

 

ただの「娯楽」におさまらないところが、小説の素晴らしいところだと私は思っている。

「何のために小説を読むのか?」と問われれば、私は

「人の世界観を覗き見するため」と答えるであろう(そういう人に私はなりたい)。

 

ともかく、そういう気づきを最近得た。

 

情景描写や物語の描きだし方に、作者のかけている「色眼鏡」や「世界観」が浮き彫りになるということ。

人は多様な世界観を持っているけれど、会話や所作、雰囲気から推察できる世界観はまだ上っ面だ。

文章や芸術作品の中に、その人の世界観はより色濃く反映される。

 

 

特に最近、大きな衝撃を受けたのは小林多喜二の「蟹工船」を読んだ時で、冬の船の上で寒さの中作業する船員の描写が印象に残った。

「漁夫や雑夫は蟹の鋏(はさみ)のようにあじかんだ手を時々はすがい懐の中につッこんだり、口のあたりを手で円(ま)るく囲んで、ハアーと息をかけたりして働かなければならなった。」
(https://www.aozora.gr.jp/cards/000156/card1465.htmlより)

この描写だ。

 

「懐の中につッこんだり」はともかく、私は「口の辺りを手で円るく囲んで」とは書かないだろうな、と思った。

でもきっと、この文章を読んだ時に私が想像した動作と、小林多喜二さんが伝えたかった動作は同じなのである。

私なら「口元に手をあてがって云々」とか書きそうだ。

同じ動作を伝えたいのに、書き方が人によって違う。
その違いは、作者が「世界をどう見ているか」「それをどういう言葉で伝えるか」という世界観と感性の違いから生まれる。

 

そこがきっと、小説の面白いところ。

 

でも小説は娯楽の一種でもあるから、読者の方は自分に合う、自分が読みやすいと感じる人の文章を選んで、それを手に取る。

それは、作者の世界観に共感しているということ。何かが読者の心に触れたということ。

 

その出会いは素晴らしいことだし、その出会いをきっかけに「私とあなた」のものの見え方の違いに思いを馳せる。

自分の見方だけが正義ではないことに、うっすらうっすら気づいていく。

それが共感力を育む、かもしれない。
そしてそういう共感力こそ、今の時代に必要とされていることかもしれない……なんてね。

 

 

 

Thank you for your reading!
I wish you all the best!

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