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審査員奨励賞受賞作 「紙の森」
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加害者もまた被害者であるかもしれない

今日の走り書き

事件の加害者を責めるのは簡単。

誰かの考えを「異常」だと決めつけるのは簡単。

 

でもそこから一歩進んでみたら、もっと別の景色が見えてくることがあるかもしれない。

 

なぜ、そんな考えを持つようになったんだろう。

なぜ、そこまで追い詰められてしまったんだろう。

 

 

人を殺そうと思うほど。

自分を殺そうと思うほど。

 

屋上から見る景色はどんなだろう。裸足で踏むコンクリートの柵は。

握った包丁の感触。その時、逡巡が残っていはしなかったか。

 

自分が同じくらいの絶望感に立たされたら、自分は一体どんなことをしでかすだろうか。

 

 

「異常な人の凶行」とか「疎外感を抱いていた」という見方は簡単で、でもそこには「あの人と自分」という境界線が否めなくて。

分かろうとしなければ相手は「異常な他人」だけれど、人間の精神の奥底には必ず狂気が眠っている。

 

狂気は「狂気」として表出することもあれば、「芸術性」に昇華されたり、人に何かを伝える原動力になったりすることもある。
荒々しい形だけが表現方法じゃないのだ。

 

じゃあ数ある中で、どうして荒々しい形を選ぶに至ったのか?

もし自分が同じ立場ならどうしたか。

 

離れるよりも歩み寄る方が、時には難しいかもしれない。
でも「異常な狂気」が自分の中にも眠っていると自覚するだけで、世界の見方は驚くほど変わる。

 

自分で表現方法を選べるのなら、私たちはどうやってその「狂気」を使って行けば良いんだろう。

 

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