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皇月ノエルはこんな人

光と音に敏感な「繊細さん」(HSP)。小説家をしています。
コチラの記事で自己紹介しています
↓こんな感じの作品を書いています。
すべて短編です↓
(作品タイトルをクリックすると、作品ページに飛びます)
「第17回星の砂賞」審査員奨励賞受賞作「紙の森」
――悲しみから、朝が芽生える。
「ハナビシソウ」
――知らなかった。先祖が僕を見守っているなんて。
「もがり」
――これだけは覚えておいてね。私が、ずっと君を好きだっていうこと。
星の彼方から君を愛す
ご一読いただけますと嬉しいです。

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ハンドメイド刺繍作品は、メルカリからBOOTHにお引越ししました。
小説、TRPGシナリオも今後追加予定です。
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そこにYouTubeがあること

ブログ -BLOG-

何が「面白く」、何が「面白くない」か。

そんな個人の感じ方は、家族の反応に依存しながら形作られることが多いように思う。

 

特に小さい頃は、自分が「面白い」と感じて、親に「面白いね」と話しても、親の反応が芳しくなければ、「これは面白くない事なんだ」と認識を改めることも多いのではなかろうか。

いじめを撮影したような動画を見て「面白い」と感じることは問題かもしれないが、同時に「何が面白く、何が面白くないか」という価値観が、悪い意味で親の影響を受けて規定されてしまうことの弊害もある気がする。

知らないうちに親の影響を受けるという意味で。

 

そこにYouTube、そして多様な動画を投稿するYouTuberさんたちの存在は大きい。

 

テレビはともすると、リビングで親と一緒に見たりもするものだが、YouTubeは自分の部屋に持ち帰り、あるいは、小さな画面を独り占めして、見ることができる。

そこには自分が所属する「家族」とはまったく違う共同体が広がっており、多様な実況者グループ(もちろん一人で活動されている実況者さん)もおり、チャンネルごとのセンスに規定された「笑い」がある。

 

親は「面白くない」ということに、「面白い」と言っている人たちがいる。

 

私が「面白い」と思ったことを「面白い」と言っている人たちがいる。

 

 

そこから、「ここには多様な価値観があるんだ」「周りが面白くないと言っていても、面白いと言っていいんだ」という視点の広がるような気づきが生まれ、心の荷が下りるような気楽さが生まれる。

少なくとも私は現在進行形でそうだ。

 

 

うちには大したボケもツッコみもないけれど、動画の中にはそれがある。
みんなでわいわいゲームを実況する、陰キャな私にはなかなかに難しいことを公開してくれている人たちがいる。

そこから人との会話の仕方を学んでいく。

ちょっとしたコミュニケーション能力がついてくる。

実際に人と関わる時に、言葉に詰まることが少なくなる。

自分のセンスを信じられるようになる。

 

 

諸刃の剣の片方。

 

 

 

Thank you for your readihg!
I wish you all the best!

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