自分は極端な人間だと思う ソフトな面とハードな面……
弱い面と強い面があって どれも半端じゃないんだ
Freddie Mercury Story フレディのことばより引用
フレディ・マーキュリーの性格の極端さは、自他共に認めるものであったようです。
ドリーン・バーチューさんの「クリエイティブを仕事にする方法」という本にも、クリエイティビティの高い人は、躁うつ的傾向の強い人が多いという記述があります。芸術家向きと言えるかもしれません。
驚くべきなのはここ、だけではなく、これには「名前」も絡んでくるのです。
フレディ・マーキュリーの本名は「ファルーク・バルサラ」といい、美術系の学校に通って絵を描いていた頃、そして舞台に上がりはじめた頃は、「フレディ・バルサラ」という名前を使っていたそう。
さらにブライアン・メイ氏の話している(過去インタビュー)ところによれば、
最初のアルバムのためにフレディーが書いた歌で 歌詞に「マザー・マーキュリー」という言葉が出てくる曲があるんだ
ある時 フレディーが言うんだよ「俺はマーキュリーになる」
「マザー・マーキュリーは俺の母親だ」って
冗談だと思ったら 本当に名前を変えちゃった
Freddie Mercury Story より
のだとか。
ボヘミアン・ラプソディを観るだけでは、このような細かいところまでは分かりません。そんないきさつがあったのか。
気になった私は、「マーキュリー」という言葉が何を表すのか調べてみました。
すると、有名な「水星」「水銀」などの他に、神話に「マーキュリー」という名前の神が登場することが分かったのです。
メルクリウス (Mercurius) はローマ神話のデイ・コンセンテス (Dei Consentes) の一人であり、商人や旅人の守護神である[1]。英語読みでマーキュリー (Mercury) とも表記される。
Wikipediaより抜粋
メルクリウスは金属であるが同時に液体でもあり(「メルクリウス=水星」を象徴する金属は水銀)、物質でもあるが同時に霊でもあり、冷たいが同時に火と燃え、毒であるが同時に妙薬でもあり、『諸対立を一つに結びつける対立物の合一の象徴なのである。』」
「メルクリウス」の変容性と多様性は錬金術の根本表象であり、即ち、「メルクリウス」は我々の無意識、心的世界の一つの表象といえる。
「神との対話」(サンマーク出版)的言い方をすれば「アルファであり、オメガ」とも言えます。
同時にあらゆる形態をとるもの、
1つの中に全体を内包するもの、
1つの中に両極端な側面を内包すること。
「自分は極端な人間だと思う」と内観したフレディに、これ以上にぴったりな名前はないのではないでしょうか。
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