事実と創作の隙間

こんにちは! スピリチュアル作家のNoel Mercury (皇月ノエル)です(*´▽`*)

ボヘミアン・ラプソディのスピ考察を書くにあたって、ネット上でではありますが、クイーンについて調べています。

中にはボヘミアン・ラプソディと史実の違いをとても丁寧にまとめているファンの方もいらっしゃり、数々の記事を参考にさせていただいています。

私はクイーンが積極的に活動していた時代の人間ではありませんし、それはどうしても埋まらない年代の溝なのですが……。今回の映画を観て、クイーンの楽曲の素晴らしさに気づきました。

そしてそれまで、クイーンのことをほとんど何も知らなかったので、ボヘミアン・ラプソディで描かれている内容を、クイーンという音楽グループに起こった内容だとして受け止めていました。

しかし……。ファンの方の書いた史実等を拝読して、やはりストーリーや出来事が脚色されていることに気づきました。
これは決して残念な話ではなく、伝記映画を作る上で、何もかも完璧に再現することは不可能だと思いますし、創作を否定する意図はまったくありません。

ただ、創作を創作と気付かずに受け入れるのと、「そういう解釈もありだよね」と、史実を知りながら創作を許容するのとでは、大きな違いが生まれると思うのです。

調べた結果、映画では描き切れなかった史実に触れることができてとても良かったと思っています。
曲には少なからず作り手の人生観や芸術観、その時考えていたことなどが反映されると思っているので、その人の身に起こったことを知るのも、芸術鑑賞の一側面かもしれません。

Thank you for your reading!
I wish you all the best!

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