こんにちは! スピリチュアル作家のNoel Kozuki (皇月ノエル)です(*´▽`*)
今日は、以前から温めていた話を……。
かの有名なディズニーの妖精、ティンカーベルについてです♪
ティンカーベルはディズニー映画の中で大活躍ですよね!
でも、
原作の「ピーター・パンとウェンディ」だったり、続編の「ピーター・パン イン スカーレット」
そしてディズニー映画「ピーター・パン2」には、妖精の別の面も表現されているのです。
妖精の生まれ方と死に方です。
明記されていませんが、たぶん妖精に寿命はないんじゃないかと思います。
けれど、妖精は増えたり減ったりを繰り返すのです。
なぜか?
妖精は赤ん坊の笑い声から生まれ
人の「妖精なんて信じない」という言葉で死ぬ
と言われているからです。
また、私の大好きな「ピーター・パン2」では、ピーターが
「ジェーンが妖精を信じないと、ティンクの光が消えるって……」
とティンカーベルの言葉を翻訳しているので
妖精の命=光
つまりは
赤ん坊の笑顔(笑い声?)=光!
と、言い表すことができますね☆
やっぱり赤ちゃんはかわいいです♡
では、なぜ「妖精を信じない」という言葉で死んでしまうのでしょう?今日の本題はそこ。
そしてこれに関しては、私なりの考えを書かせてください。
信じられないと死んでしまう。
これは「言霊」に由来する考え方であると、私は思っています。
っていうか、
「妖精なんて信じない」って、言葉的に存在の全否定じゃないですか?
仮に、誰か人間とケンカしたとして、
「お前の考えは理解できない」とか「お前なんかキライだ!」ならば、
まだ相手の存在を認めてはいますよね?
相手を嫌うことができるのは、そこに相手がいるから。
存在しない相手を好きになったり、嫌ったりすることはできません。
でも、「妖精なんて信じない」と言うってことは
「妖精は存在していない」
「あなたは存在していない」と言うのと一緒だと思います。
妖精は光からできているのであれば、きっと言葉、人からのエネルギーに敏感なはず。
だから、誰かが妖精の存在を否定する
「妖精なんかいるわけない」
「信じてない」
という言葉を言うたびに
存在を否定されたことを感じ取って、言葉の通り消えてしまう(死んでしまう)
そういうことなのではないかなと思っています。
ちょっとしんみり。
加えて、かのマザー・テレサは、「愛の反対は無関心」だと言いましたが、これも理屈は一緒だと思います。
まったく関心を払わないというのは、相手の存在を認めないことと似ている気がする。
だから、逆に言えば
「お前なんか嫌いだ!」と言い放っている瞬間にも
相手の存在を認めているから、
量は少ないかもしれないけれど、そこには多少なりともの愛がある。
そう表現することもできるのではないでしょうか。
I wish you all the best!
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