幼少期と暗黒時代の手前【皇月ノエルになるまで part1】

こんにちは! スピリチュアル作家の皇月ノエルです(*´▽`*)

 

「皇月ノエルになるまで」シリーズは、前のブログEndless Magic∞でも書きました。
あれからしばらく経ち、書けることも増えてきましたので、ブログをお引越ししているこの機会に、新しく書き直すことにしました!

私がどういう経緯で、どういう考えで「スピリチュアル作家 皇月ノエル」として活動を始めるに至ったのか?

そんなことを知っていただけたら幸いです(^_-)-☆

第1回目記事の本日は、簡単に私の幼少期のお話から……。

 

 

 

 

 

私は、宮城県仙台市鵜生まれ。
4歳の頃、父の仕事の都合でパナマ共和国に引っ越し、
3年間常夏のパナマで過ごしました。

パナマは中南米と言われる辺りに位置しているので、気候は年中夏です!
雨季と乾季があり、雨季は特にじめじめして雨がたくさん降り、
乾季はからっとして、じりじりと暑い夏になります。

パナマの公用語はスペイン語。他にも英語、中国語などが通じます。
パナマ運河がある特性上、いろんな国の、いろんな人がいる国なんですね。

当時は、私もスペイン語をしゃべっていたようなのですが……。
今はけっこう忘れてしまって、「面白いスペイン単語」程度の話題ができるくらいです(笑)。

4歳から6歳という、脳味噌がスポンジみたいな時期(笑)に外国暮らしを経験しているものだから、
私の中では昔の記憶が他の人よりかなりくっきりと保存されていて、
昔のこと、パナマで暮らしている間、日本に帰ってきてからのこと……等々、とても鮮明なことが多い。

当時は本当にいろんなことがありました。

 

まず、過去の記憶のうちでもっとも影響力と(怨念)が強いのは親のこと。
父は機嫌が悪くなると溜め息をつく人なのです。

特に苦痛だったのはごはん時。
私は好き嫌いがけっこう多いのだけれど、「これ嫌い」とでも言おうものなら、父の溜め息が飛んでくる。
そして私はごはんを食べるのがけっこう遅い(ちゃんと30回もぐもぐしてるだけなんですけどね)のですが、私がいつまでももぐもぐを続けていると、
「そんなに時間かかるなら、どうせ嫌いなんでしょ、下げちゃうから」
と問答無用で皿をさげられそうになる。
だからといって「早く食べよう」と無理な努力をし、口にものを詰めこみすぎると、歯が貧弱だった私は牛肉の繊維とかニラとかエノキとかが噛み切れず、呑み込めないモードに突入し、また「下げちゃうから」の餌食になることに……。

じゃあどうすりゃいいんだよー!!!!
と言えば、また溜め息が飛んでくるでしょうから、私は黙ってシクシクするばかりなのでありました。

さらに悪かったのは、母も父の溜め息を気にして、顔色を窺っていたこと。
スピ探求してるし、子供の頃の記憶が鮮明だから言うけど、
子どもって本当に親をよく見ているのです。
母は完璧主義で、「家事は女がやるもの」とばかりに家事を完璧にこなして、父の溜め息に怯えていました。
そんな母を見て育った記憶の鮮明な私が、そうならないわけがありません。
(恨みごとのように聞こえている人、すいません。手放し中なんです……感情抜きで語るには、まだ私の修業が足りません)

 

加えて、成長してから分かったことは
父にも嫌いな食べ物があって、(母は父に配慮して、あまり食卓に出さないようにしていた)
部屋片づけろと口うるさく言っていた父は部屋の片づけができなくて(当時は母が片付けていたらしい。今は違います)、
父も利き手じゃない左手をテーブルの上に出さず食事してたり、テーブルに肘ついてたりしていること!

 

テメ―、偉そうに注意してんじゃねーよっ!
偉そうに言うなら、自分が完璧にできるようになってからにしろ!
私の心的ストレスぶんの何かを返せぇぇぇぇ!

食事のマナー本などを読むと、肘ついて食べる、新聞・テレビを観ながらの「ながら食べ」などは、明らかなマナー違反。
利き手じゃない手はお皿に添えるとスマートと書かれているので、私に偉そうに「右手」という以前に、直すところがいっぱいあったわけです。

 

私も大して偉そうに言える立場ではないのだけど、
「お前もできてないだろ」みたいなところを注意されるほど、不愉快なことってありません。非常に不愉快。

 

 

そんな環境で育った私は、きっと「そういう」エネルギーを発していたんでしょう……。
幼稚園の頃ががっつりパナマ暮らしにかぶっているのですが、私は現地の幼稚園に通っていました。
そこには私を含めて5人の日本人の子どもが通っていましたが、私は仲間外れにされる憂き目にあったのです。

帰国してからは、家で虐げられているぶん、外では偉そうに振る舞いたいと思い、父をまねた溜め息戦法で、転校先の小学校の友達と接していました。
ところが、私が望むほど「あなたは偉いです」的な扱いをしてもらえないし、どうも自分らしくないし、仲良くなれる気配もない。(そりゃそうだ)
早いとこ気づいて態度を改めたのは、とっても性格の悪かった当時の自分にしてはとても褒められるべき点だと思ってます(笑)。

小説家を志したのは、小学5年生の頃。
母がクリスマスプレゼントに、自分で書いた小説を贈ってくれたのがきっかけです。
聞いたところによると、母も昔、小説家を目指していた時期があるのだとか!
私はもともと、お話を考えるのは好きで、よくノートに他愛のない物語を書いたりしていましたが、母がくれた小説は手書きではなく、ワードで打ち出した活字だったのです。

印刷された活字は整っていて魅力的で、私もこんな長編が書けるようになりたい! と思ったのが、すべての始まり。
その点では、母に感謝しております。
(そしてその点では、としか言えない自分の発展途上を感じる今日この頃)

 

また、小学6年生の運動会では、なんと白組の応援団長を。
この頃から応援団、大声を出す団体へのあこがれがあったのか……とちょっとしみじみします(*´▽`*)

 

楽しい、辛いを混ぜ込んだ小学校生活が終わると、
私はいよいよ暗黒の中学時代に足を踏み入れていくのでありました……

 

 

→Part2へつづく

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