自分に嘘をつけなくなった話【皇月ノエルになるまでPart5】

こんにちは! スピリチュアル作家の皇月ノエルです(*´▽`*)

皇月ノエルになるまで、早くもPart5。
本日は、とても重要で最近の話。

進路の話題、いってみましょう!

 

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私が小説家を志したのは、小学5年生の時。
当時、「小説家になりたい!」と高らかに宣言した私に、母はこう言いました。

「それは良いけれど、小説家って本が売れないとお金が入ってこないんだよ。
だから安定した収入が手に入る仕事と掛け持ちしてやって、小説が売れるようになったら小説家一筋にしたら?
子ども好きだし、保育士さんとか、幼稚園の先生とかやれば良いじゃん」

母の助言は現実的で、その時の私はまだ「引き寄せの法則」とか「思考が現実化する」という言葉を知りませんでした。

 

まだまだ小学生で世間知らずだったし(今もだけど笑)、
私は「そういうものかぁ」と思い、母の助言を素直に聞き入れたのでした。

 

進学する高校を決める際も、もちろん考えていたのは幼稚園の先生になれるところ。
ちょうど父(三高20回生)の勧めもあったので、

仙台三高→宮教大→幼稚園教諭→小説家

という進路を考えていたのです……

が。

 

高校入学(ちょっと前)に、引き寄せの法則を知り、スピリチュアルな生き方を知り、スピリチュアルに携わる人たち、そしてそうでない人たちの、いろんな生き方を知りました。

ラジオ関係の仕事でうまくいかなくなり、たくさん離婚と再婚をして、神さまと話した本を書いたことで人生が逆転した人。

中卒だけど社長にまでなり、たくさんの居場所を作り続けている人。

ニートを公言して、自分のやりたいことだけをつきつめて生きている人。

上の人に助けを求めたら、自分らしさを活かせる仕事につきました、という人。

自分を見つめ直すことをやっていたら、自分の正直な気持ちに嘘をつけなくなって、今の安定した収入の仕事をやめた人。それで成功して幸せに暮らす人たち。

 

私は気づきはじめていました。
高校→大学→就職というのが「日本人の基本」だと思われているけれど、それに沿ったせいで「傍目には」幸せな人が増えている。

傍目には。

その人が本当の意味で幸せを感じているのかどうかは、また別の問題なのです。

 

日本人は同調圧力をかけるのが上手です。
空気を読むのが上手です。
無駄な邪推スキルも高い。邪推しすぎちゃうのです。

幸せのレールに乗ったのは、もしかすると
親を喜ばせるためかもしれません。
自分が幸せになれると思ったからかもしれません。
それ以外の生き方を知らなかったからかもしれません。

自分で調べようとしなければ、「多様な生き方をしている人」の情報が入らないようになっているんです。
授業にはそういう話が出てきませんからね。

 

私に話を戻すと、進路希望調査が配られ始めた頃、私は気づいちゃったのでした。
幼稚園の先生になりたくないと思っていることに。
私は小説家になりたいのであって、「売れるまで」のつなぎの仕事なんて考えたくないのでした。

というか、「思考は現実化する」とか引き寄せの法則的観点から言えば
「小説家になりたい! でも売れるまでは、幼稚園教諭の仕事と両立しよう」という考えで働いている間は、無意識のうちに

「私は小説家を目指す幼稚園の先生です。まだ小説だけで食べていける財力はありません」

と宇宙に宣言しているようなものです。
そんなことをしていては、いつまでも小説家として自活していけるはずがありません。そういうメッセージを発していないのですから。

 

加えて私は、何かを両立するのが苦手。一本集中人間なのです。
勉強と部活の両立すらできてないのに(なんで文武両道の高校に入ったんだよ笑)、
多忙な幼稚園教諭と小説家という仕事を掛け持ちできるはずがない。
それは私の望むところじゃない。

となれば、大学に進学して、教員免許を取る必要すらなくなるじゃないか。

そもそも、もう文章が書けるのに、どうして大学に行かなくちゃいけない?
誰が行かなきゃいけないって決めたんだ?(誰も決めてない)
大学に行かないという選択肢だって私にはある。選ぶ人が少ないだけで。

じゃあ、それでいいんじゃね?

 

まとめて書けば、およそ半年間、こういうことについて悩みぬいていたわけです。
この間、本当にいろんなことがありました。

私は自分に嘘がつけなくなっていたのです。
スピリチュアル系の本を読み漁っていた影響で、私の直感力と、心の声(心の声は魂の本音に直結すると言われています)を聞く力がかなりついていました。
自分に嘘をつくと、ものすごく心がざわつくんです。気持ち悪くて、とてもそのまま見ないふりなんてできなくなります。

そうすると、幼稚園の先生を目指していたわけじゃなかったという理由の他にも、大学進学を避ける理由が浮上してきたんです。

高校受験の受験勉強が辛かったから、もう受験勉強したくない!

受験勉強のことを考えるだけで心が死にそうです。特に大学受験ともなれば教科数も多いし、勉強すべきことも膨大。とても覚えきれないし、そんなことする意味なんてあるのだろうか……。

小説家って大学に行かないとなれない仕事じゃないし、いっそのこともう小説家として活動始めちゃっても良いんじゃないの?

 

これは、人に言うのは私の(無駄に高い)プライドが許さないので、今までごく少数の人にしか言わずにきた話です。進路の面談の時も、先生たちには誰一人言いませんでした。
さすがに親にはばれて、プライドが粉々になったけど……。
親に弱みを見せるなんて、私の半生最大の屈辱です。

 

……ともあれ、自分に嘘をつけなくなった私には、
大学に行かずに、小説家になる!
という輝ける道しか見えなくなっていたのです。

とはいえ、仙台三高は進学校。
まわりはみんな受験生だし、担任や副担任の先生たちには、「大学行った方が良いと思うけどねぇ」と言われていました。

私も理性偏重人間なもので、何度も自分の中で揺さぶりがあり。
良い機会だから、職員室前で先生方をつかまえて、いろんな人に進路の相談として意見を聞いてみました。

その中で気づいた貴重な気づきが2つあります。
1つ目は、先生たちにも「大学に行かない生き方が分からない」ということ。
教員は大学に行っているから教員なのです。教員免許を取るためには、大学に行かないといけませんからね。
お話をうかがった先生方のほぼ全員が、「でも、大学に行った方が良いと思うよ」とおっしゃるので、この理由に思い至りました。
人間は自分の体験から人にベターな道を勧めるもの。未経験の分野をさも詳しそうに助言するのは無責任ですから、まあしょうがない。
だけど進学校で、先生たちに「大学にいかない進路」の助言を求めるのは、ちょっと的外れというか、多様な体験談を集めるのには、ちょっとサンプルが偏り過ぎています。(先生方、この記述に悪気はありませんよ?)

 

そして同時に気づいたのが、私たちは先生の個人的な意見を何も知らないということ。
先生方と顔を合わせている時間は長いのだけれど、それは先生たちの授業を受けているから。
でも、授業の中では、先生たちは自分の話をしにきているのではない。

生徒は「あの先生の話は長い」「あの先生の教え方は分かりやすい」という尺度で先生を判断することが多いけれど、
先生が生徒について何を考えているか、
どういうことを考えて仕事をしているのか、
教室の中でだけ交流するうちでは、私たちは知る機会がないのです。
だけど、先生の話し方、授業の仕方だけを見て、良い先生と気に入らない先生を決めている節がある。

いろんな先生と一対一でお話をうかがう機会を作っていただけたことで、私はそのことに深い衝撃とともに気づきました。
お話をうかがえば、過去には一般企業に勤め、それでも教員の夢をあきらめきれなくて、教員免許を取るために勉強し直したという先生がおられたり、
「実は、おれも小説家を目指していたんだよね」
という先生がおられたり。他にもたくさんの、いろんなことを考えている先生がいらっしゃいました。
3年間三高に在籍していたのに、先生方という人間の多様さに気づかなかったなんて、と、それにもショックを受ける私。

 

貴重な経験になったとともに、先生方の懐の深さにも感動しました。
個人的な考えや事情を、あんなにオープンに話してくださるなんて、ヘンなプライドを持たず、まっすぐ生徒に向きあってくださる三高の先生方は、本当に良い人たちばかりです。
私にはまだムリ。

 

 

加えて卒業してから、大学にいかなくて良かったと思える、
新しい理由ができました。

それは三高の後輩たちのこと。

当時の私も含め、だけど、
三高に進んできたような人たちは、きっと大学に進学して就職、という人生を当たり前だと思っていることが多いでしょう。

そんな中で、大学に行かずやりたいことを追求するという生き方を選んだ私が、「別の生き方もある」という代表選手でいられることに気づいたのです。

 

同学年の中では、私は友達から尊敬してもらえたり、「ヘンな奴」だと思われたり、評価がいろいろだけど、
誰かが何かを考えるきっかけになれたら、それが良い印象でも悪い印象でも良いのです。
世の中の「当たり前」は単なる多数決であり、
少数意見は間違っているわけではないこと。

ひょっとすると私のように、受験がつらくなっちゃって、だけど受験しか選択肢がないような気持になってしまっている人もいるかもしれないし
そんなときに、私のような「別の」生き方をしている人に出逢ってくれて
少しでも気持ちがラクになれば。

そしてそれが、自分が在籍している三高の先輩だと知ってもらえれば。

誰かの勇気を作る助けになれるかもなーと、ぽんやり考えているのです(^_-)-☆

 

三高では毎年、「社会人出前講義」というものがあり、三高を卒業して活躍する社会人の先輩方を呼んでお話をうかがう行事があるのですが
ノーベル文学賞とオスカー賞(原作者として)でも取って、「大学に行く以外の進路」を堂々と伝えられる先輩になり、講義に呼ばれたいなーと、わくわくしながら考えています♪

 

 

かくして、「スピリチュアル作家 皇月ノエル」が誕生したのでした☆

「自分に嘘をつけなくなった話【皇月ノエルになるまでPart5】」への1件のフィードバック

  1. いいね。

    ノエルちゃん。

    それが自立した人間です。

    西洋人は幼児までは厳しく育て、思春期になったら個人を尊びます。

    昔の三高生は三高に入って自我に目覚め自立しました。

    何故ならば、私の経験からいうとナンバースクールに入ることを教育されて来たからです。

    ですから、ナンバースクールに入ったことに目標達成感が出て、悪い表現ですが、燃え尽きた症候が発症するのです。

    それで受験ではなく、次の目標を探すのです。

    それを世間はナンバースクールの落ちこぼれと、今も思っていると思います。

    三高の代表選手は、前にお話した2回生の和光晴生先輩です。映画と社会への反発から、ついに社会からドロップアウトしてしまいました。

    私は「人・配役論」を持論としています。

    人、それぞれが神様に命じられて良い役、悪人の役を演じていると思います。

    大事なことは自分を肯定すること。
    そして、自分が選んだ道を歩むことです。

    それをしていたならば、臨終の間際に「天命を尽くした」という充足感を得れるということだと思います。

    それも綺麗ごとかもしれません。

    一番大事なことは、自分が選んだ道を必死で歩むことだと思います。

    必死はが大事です。

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